霧。霧。霧……俺たちを運ぶカーゴヘリは俺たちを安全と騒音に包んで羽ばたく。慣れっこだが俺は苦手だ、何かが埋もれて聴こえなくなるこの数刻の時間をたまらなく恐怖している。ばあさんが暇を持て余したのか俺に無線をよこす。気晴らしは大事だと俺はそれに応える。

「ヤクモ。して、お前の目的とはなんだ？」

「いきなりだな。グレイ・アイシャムよろしくここで稼がせてもらうってのもオツだがね、そう上手くはいかんだろうな」
「金や地位はどうとでもなるだろう。お前さんなら。――ならば、もし私の所有する財産……いや、所有した財産か。その全てをお前に寄贈するというのなら、お前はハイドラに乗るのをやめるというのか？」
やや断定的に婆さんは続ける。
「お前の、戦闘狂にして合理主義者というそれ以外の行動理由を、私は聞いているんだよ」
俺は鼻で笑う。いいやそれだけだ、と返せば良かったのだろうか。
「そんな事がもし俺の身に起きたらなんて考えたりしてねえな、随分」
　マイク越しに、困ったように笑う。
「金が出来ても乗り続けるだろうな。きっとこの戦闘狂癖は治らん。死ぬまで止まれんことは愚かだが、こうして昔通りで居たいんだよ俺は」
婆さんは違う操縦棺ごしに俺を見ていやがるのだと間で解る。
「昔通り。ふむ……。確かにお前さんはスラム育ちで、グレイよろしく血の気が盛んで、貪欲なやつが多い。が……。お前が激しい戦闘の後に、わずかにも満足げな顔を見せやしない。私にゃどうも、お前のその攻撃的な視線が、別のところから来ているように見える。その昔とやらを教えてほしいものだねえ。お前が盲で、都合よく成り立っていた昔のことを」
「……何処まで知ってるんだ？」
素直な感想だ。俺はおよそ知られないはずの個人データを握られていた節が今までに幾度かあった。食えん婆さんだが、もし出処が出処ならば吐かせるつもりの姿勢をも無意識に取った。指がパキリと鳴る。
「具体的なことは何も知らないさ。私が知ることが出来たのは人の流れだけだ。どういう集団に属していたか。その集団がどういう変遷を辿ったか。どういったパイロットと組んでいたか。それだけのことだ。怒らせるつもりはなかったんだよ。すまんな。この質問も、調査も、ひとえに興味以上のものは何一つない。私の目的はひとえに、ハイドラ乗りとしての技能、そして在り方の追求だ。それ以外にはない」
「なんだ、良かった。疑って悪かったな……だが、あまり胸を張れる話題じゃない。それに多分グレースさんの評価は下がるぜ」
俺は先ほどまでの緊張を解いて詫びた。俺も流石に疑った相手に嘘偽りを話すほどクズじゃない。誰に話した事もない昔話を始めた。
「俺はヤクザの下請けチームを作った。つい先日防衛せよと言われたような、怪しげな場所を襲撃せよ、なんて依頼が当時はあったよ。グレースさんはもう気付いて居るだろうが、僚機が居た。……いい女でね」
「俺があんな機体を使うからには索敵と狙撃を定点から行える機体だった。あるミッションで俺は……そいつを失ってしまった。以来俺には目も首も無い、ただの自殺志願者のようなライダーに成り下がった。何故俺がそれを是正しなかったのかは俺にもよく分かっちゃいない。ただ」
霧に沈んでゆく赤色のレーダー。緊急避難のサイレン。
「どこにも見当たらなかったあいつの機体は、残像領域の霧のさなかの、もしかしたら直ぐそこにあるんじゃねえかなって良く考える。……」

　＊　＊　＊

「お前は克己しろ。お前は、お前の最も恐れるものに踏み入らなければならない」
俺はそう婆さんに説教された。この婆さんはこれだって幾度となく死線を躱してここまで年を食った猛者だ。克己しろ。そう言うだけの経験をな。

残像領域はすぐ手が届くところへ近付いていた。着陸の態勢。俺たちは俺たちの獲物に跨り、目標を見つめる。
霧は鏡と無線が入る。そうさ、俺はこの何も見えない一面の白へ刃を突き立てるために再び陽を落としたんだ。鏡なら割れる。割っちまえ。

「スタンバイ。サンダウン、出撃する」

どうせ陽は登らない。

　＊　＊　＊

「私だけじゃいけないのかな、ヤクモ」

「守ってよ、私が貴方の目であり顔なんだから」

「……退避して下さい、繰り返します。退避してく……」

　＊　＊　＊

「死にたくない」

　＊　＊　＊

「だよな」