獰猛な男だった。多くのハイドラ乗りらしい、何かを欠いているような風合いが、その男にはあった。獰猛さとはそうした、欠いたものに対する反応だ。単なる生業として過ごすには、この仕事は過激すぎる。しかし、彼にスラム上がりらしさというものはあまり感じられない。ハイドラ乗りとしての経験からか、あばらの浮いた野犬のようなぎらついた目として、その獰猛さを携えているわけではない。
「いや、願ってもない話だ。貴女のような歴戦のライダーに高待遇の契約を貰えるとはね」
「まあ、常識外れの厚遇とも言えるだろうが、しかし恐らくは私が学ばせてもらう身と言っていいだろうね。私はそのつもりで君に話を持ち掛けたのさ」
「貴女の雰囲気からはそうは思えないがね、グレースさん。俺には少し疑問があるのさ」
　その冷めた態度は、殺気と言っても過言ではない。しかしそれこそが肝要だ――拳銃は、殺すための装置だからこそセーフティがあるのと同様、殺気の立つ者だからこそ保つ間合いがある。ハイドラ乗りに必要な『信用』の、第一条件だ。

　＊　＊　＊

「俺の方も当然少し漁りはした。足を洗ってから暫く経つんで自前だが、俺が生まれる頃かそれ以前のエースライダーだったと――格闘ハイドラ乗りの」
「ハイドラ乗りにマトモさなんて期待しやしない。マトモになったときが辞めどき、そうだろう？　そういうのがやりたい年頃だったのさ。今となってはあんな無茶はできないね。こうして背をしゃんとして座ってはいるがねえ、ずいぶんとガタのきた身体なのさ。操縦棺内の環境整備は、下手すりゃハイドラ全体の費用よりも金を費やす羽目になった。それでも万全じゃないときたもんだ」
「穏やかじゃねえ改造が必要だろうね、中敷きを赤い絨毯にしてギアのグリップを鰐皮にするよりかはよっぽど。だがそうするとまた新しい疑問が浮かぶわけなんだが、射撃転向したって事になるな？」
　応答の速さに、確信する。都会的な音楽、グラスに夢を見るための空間においても、交戦中の機敏さを保っている。パイロットでなくても有能な人間ならば、どこだって戦場になりうることを熟知している。
「一応昔だって、それなりに射撃もやっていたさ。晩年はオールラウンダーとして『無型』なんて呼ばれていたが、結局のところ単なる効率化だよ。マトモなフリっていうのは、存外に出来るものなのさ。お前さんの言う通り、格闘から全く手を切ったのは、これが初めてだがね」
　専属のメカニックと、専用のガレージの無償提供。この契約において、こちらが提示した環境だ。稼ぎは別々に分配され、私はそこに取り分を要求しない。破格と言っていい条件だが、決して見合わない条件ではない。
「しかしまあ、どこまでマトモと言うべきか、私には判断しかねる。反応速度の落ちた頭脳を想定すればわかるはずだ。同じ速度で接近するものがあるとして、認識のクロックが低下すればするほど、近距離の概念というのは拡大する。それも非対称な形でだ。案外お前さんの雇主は、あっけなく死んでしまうかもしれんよ」
　私は笑って、初めて手元のグラスを口に運んだ。
　冗談めいて言ったものの、あながちありえない話ではない。それだけのハンディキャップはある。が、しかし、死に場所として戦場に赴いたわけでは毛頭ない。

　私は戦いの中に、まだ見落としている何かがあると、そんな気がしてならないのだ。

「笑顔の方が素敵だよ、レディ。だがそんな皮肉さえ言えない仕事をして見せるさ、そんな隙が生まれん為に俺が居るんだからな」
　終始、その殺気は途切れない。笑みを作って見せれば、それは刃物の鋭利さが光を照り返して見せるかのようだ。
「よくそんな歯の浮くようなセリフを吐ける。しかしそれならば、さしずめ頼もしいナイト様というわけかい」
「現在進行形の『無型』と共に戦う日を楽しみにしているさ」
「こちらこそ楽しみにしている。よろしく、ヤクモ」

　＊　＊　＊

『G-00-WEDNESDAY/FCS』

　ウェンズデイ。私が初めて搭乗した機体の名前。まだ何も知らずに、汎用機に２、３の改良を試みただけの機体だった。パーツハウスに初めて試作させるパーツには、ちょうどいい名前だろう。
　今もまた、あの頃と変わらぬ挑戦者なのだ。