【ガルムとファストが『残像領域』に慣れはじめたその頃――…】



「……遅い」


　不満気に唸る声。腕を組み、足を組み、椅子に深々と腰掛けてぼやくのは女である。年の頃は花盛りとも言えるぐらいを幾らか過ぎたぐらいであろうか。妙齢の淑女然としたその女はエールステゥと言った。この『黄金の竜翼亭』の名で知られる冒険者宿に所属する者であり、『竜駆人』の名で知られるパーティの参謀役でもある。


「遅いったらないね」

「……そうカリカリしてやるな、エルゥ」


　再び上がる唸り声に宿の亭主が苦笑を返した。
　もっとも、彼女がそんな風に険しい表情でぼやくのも判らないではないのだが。

　数日前から依頼で出かけたという仲間が二人、戻ってこないのだ。


「依頼内容からして、こんなに長い期間かかるのはおかしい。おやじさんだってそう思うでしょ？」

「それは否定せんがな……しかし何か手間取るだけの問題が起きた可能性はゼロじゃない。緊急の依頼だったんだ。情報不足気味なのは否めないからな」

「それにしたって……ファストとガルムだよ？　さすがに遅すぎる気がする」


　あの二人は『竜狩人』でもメイン火力組だ。今回のような荒事は得意な筈だし、まず余計な時間をかけるなどといった無駄な事はしないだろうという確信はあった。それに、もしも手間取ったならば無理をしてその場に留まらず一旦戻ってきて仲間と合流する……という判断ぐらいは普通に下すだろうという予測もあった。
　それだというのに、連絡どころか音沙汰のひとつもなく戻ってくる気配もない。だからこその『遅すぎる』という評価なのだ。


「さすがに気になるか？」

「気にならない訳、無いでしょう。だって仲間だもの」

「仲間ってだけでもないだろうに」


　カウンター向こうでグラスを磨きながら宿の亭主は苦笑を深める。


「弟の事、心配じゃないのか？」


　『竜駆人』のリーダーであるファストは、エールステゥの双子の弟だ。姉としても放って置けないのではないか、という指摘に女は肩を竦める。


「あの子はどんな危険な場所に放り込まれても平気で返ってくるタイプだよ。心配してもケロッとして笑ってるような子。だからそこまで気にしてない」

「そうか」

「……まぁ、でも、そうだね。あまり長い時間をかけすぎてるのは確かだし、そろそろ依頼人も不安になりだす頃合いだろうから。私も動くよ。親父さん」


　良いでしょう？
　言外にそう問う眼差しにやれやれとばかりにため息を付いて宿の亭主は頷いた。


「依頼人に連絡を取ってやるよ。許可が貰えたら行ってイイ」

「ありがと、親父さん」


　そうと決まればこうしてはいられない。
　席を立ち出立の準備に動き始めた女を、宿の亭主は一人静かに見送るのだった。