俺は婆さんを繁華街の只中にありながら妙に静かな、初めの打ち合わせほど上品じゃないが手狭なバーに誘った。カウンターの他にソファが用意され、俺たちは狭いテーブルを挟む。

「レディ、この間は済まなかったな。飯の不味くなる話を」
　グラスを手に取り、香りを嗅ぐ。
「今一度考えてはみたが、俺がハイドライダーをする理由が分からん。確かに、若手の無我夢中でやってるライダーと比べりゃあ、腕はマシだろう。実績も、それによる自信も、そいつで食って行く気概も俺にはある。が、本当に必要なことなのかと問われると、分からん」
　一口ウィスキーを含み、喉へ通す。霧の味が抜ける。
「そんなことに答えは求めちゃいない、俺はただ迷っているだけだ。そこでヒントを、グレースさんの若い頃の話を聞かせて欲しくてね」

「ほう……。私の話か。いいだろう」
　婆さんは表情を変えず話し始める。
「『ウォーカー』を知っているか。古いハイドラ乗りだが、当時、最も力があるとされる傭兵だった。私が、あんたよりも二回りほど上くらいの歳のときだねえ。はっ、それはもう若いと言わないかい。まあ、私にとっちゃあまだ十分若いころだったさ」
俺は婆さんの過去を想像する。冷徹なほど動じず、年を重ねた人間特有の反射神経の失われ方をカンと詰めで埋めているマルチプレクサの動作は、俺にとっちゃ余りにも『若い』ように思えていた。逆に今よりも前の彼女の、そうした反射が伴っていたころの動作を、俺は想像しにくいなとも。

「名前だけは聞いたことがある程度だ、その頃は飯も食えないガキだったからな。……いや、充分に若いんじゃねえだろうかと思ってるぜ、お世辞の類じゃなくてな。あの機体の動きを俺はもう何度も見てるんだぞ」
　目だけをこちらにやりながら、婆さんはグラスを傾ける。
「当時の私は、『無型の』と称されるくらいに、機体の構成を自在に編成し、それぞれ変わらぬ乗りこなしをすることで、それなりに名を知られ始めていたころだった。
その頃の私は、そうだねえ。自らの手腕がただ誇らしかった。私にしかこなせない仕事、増えていく報酬額、他のハイドラ乗りからの羨望の視線。そうしたものを嬉しいと思っていたよ」
　グラスを傾け、煙る香りの向こうに霧の中の若きグレースを想像しようと試みた。カタギじゃねえ頃ではあったが、俺にもそういう経験がある。子供みたいにテンションが上がってる婆さんを想像して顔が緩んでしまった。
「それと同時に、戦場の中にしかない自由というものを確かに感じ取っていた。戦いの中の瞬間瞬間にある火花に、ただ猛烈に酔っていたとも言える。戦いの中にいる間、そうした誇りや羨望や、お金なんてものはどうでもよかったのさ。ガレージに戻った後も、その残り香に酔っていた」
　そう、どうやら理由こそあれ、俺もこの婆さんもそういうどうしようもないところが根底にあるからこそ、綿密な打ち合わせ無しに僚機が務まるんだろうな。手にしたものがどうでも良くなるほどの全能感覚が、そこにはある。
「いや、大丈夫だ。俺にもそいつはあるんだよ、ふとした逃避の手段ってだけじゃない。正確に理解できる」
「そして私は初めて、その『ウォーカー』と出会った。初めての出会いは僚機としてだった」

　そうして彼女はウォーカーという名の機体の話を始めた。俺が見知らぬ、前世代のハイドライダーの昔話だった。凄腕の傭兵、一線を抜きん出た制動の速さ。そうした彼に憧れを抱く、若かりし頃のグレースの話だ。
彼女の表情を眺めていて気付いたことがある。いつもよりずっと活き活きとした、あまり慎重に言葉を選ぶことを優先するより、会話を楽しむときの目をしていた。

「そしてあくる日、私は『ウォーカー』を撃墜した」
「今でも覚えている。古戦場。深い霧の底は、まるで一切の静寂の中だった」
　氷の音がグレースの声色を少し変えた。
「……あるいは、あいつはお前に通じるところがあったかもしれんな。あいつは言っていた。それ以外に生業がないからウォーハイドラをしているのだと。だが一方でこうも言っていた――ハイドラ乗りは、命を秤に掛け過ぎると。それは前提であって極めるべき本質ではない、と」
「……そうか。他人事になりゃあイマイチピンと来なかったことも理解できるもんだ。そいつは悲しいことだろうな、ウォーカーにとってもグレースさんにとっても」
　ぼんやりとした顔をする彼女を見るのは初めてだった。恐らくまだ追いかけてやまないものが、その思い出に残っているんだろう。
「『ウォーカー』を撃ち落としはした。しかし……それだけということか」

　おそらく、振り切るべき思いだけが俺をこのハイドラへ繋ぎ止めている。