趣味のいい店だった。抑え気味の音楽と、氷が揺れる音に、夜の時間の緩やかなる様が映し出されていた。私は愛飲している、冷たい味のする蒸留酒を頼む。
「今一度考えてはみたが、俺がハイドライダーをする理由が分からん。確かに、若手の無我夢中でやってるライダーと比べりゃあ、腕はマシだろう。実績も、それによる自信も、そいつで食って行く気概も俺にはある。が、本当に必要なことなのかと問われると、分からん」
　その言葉の通り、ヤクモはそれで食っていける。それは確実に言えることだ。無駄遣いさえ減らせば、すぐに一生生きていく分だけの額まで資産は貯まる。こいつがお金を食いつぶすような生活をするのは、辞める理由を潰すためだとさえ思える。
「そんなことに答えは求めちゃいない、俺はただ迷っているだけだ。そこでヒントを、グレースさんの若い頃の話を聞かせて欲しくてね」
「ほう……。私の話か。いいだろう」
　私はほとんど逡巡する間もなく、『ウォーカー』の名から、その話を切り出した。
「当時の私は、『無型の』と称されるくらいに、機体の構成を自在に編成し、それぞれ変わらぬ乗りこなしをすることで、それなりに名を知られ始めていたころだった」
　ヤクモは褐色の酒を飲みながら、黙って話を聞いている。
「その頃の私は、そうだねえ。自らの手腕がただ誇らしかった。私にしかこなせない仕事、増えていく報酬額、他のハイドラ乗りからの羨望の視線。そうしたものを嬉しいと思っていたよ」
　懐かしい、と思う。今はない感覚だ。それに比べ。
「それと同時に、戦場の中にしかない自由というものを確かに感じ取っていた。戦いの中の瞬間瞬間にある火花に、ただ猛烈に酔っていたとも言える。戦いの中にいる間、そうした誇りや羨望や、お金なんてものはどうでもよかったのさ。ガレージに戻った後も、その残り香に酔っていた」
　その感覚は今でもある。
　それは今でも消えないでいる。
「いや、大丈夫だ。俺にもそいつはあるんだよ、ふとした逃避の手段ってだけじゃない。正確に理解できる」
　私はヤクモの言葉にうなづいた。
「そして私は初めて、その『ウォーカー』と出会った。初めての出会いは僚機としてだった」
「『ウォーカー』の腕は天才的だった。速い。際立って速いのが、照準を合わせるスピードだ――」
　酒が回っているからか、私はいつにも増して饒舌に話したように思う。そしてそれだけのことを、正確に記憶していた。その動き、言葉、有り様。
「奴の操縦を見て、私は憧れた。その領域に達したいと思ったのさ。それから幾度か僚機になったし、また戦ったこともある。いくらかの技術的な質問をし、それに答えてもらったこともある」
「ずっと追いかけていた。いかにその領域に達することが出来るかを、私は追求し続けていた。簡単に言えば、そうさな。その腕に惚れたのさ。私は」
「ヘヘッ、若いってのはいいね。だが幸運な事だろう、俺は同じ相手と二度戦うことが許されちゃ居なかったからな……。婆さんが憧れる程の腕ってのは気になるね」
「そしてあくる日、私は『ウォーカー』を撃墜した」
「今でも覚えている。古戦場。深い霧の底は、まるで一切の静寂の中だった」
　氷が解け、カラリと音を立てた。 何かの合図のようだった。
「……あるいは、あいつはお前に通じるところがあったかもしれんな。あいつは言っていた。それ以外に生業がないからウォーハイドラをしているのだと。だが一方でこうも言っていた――ハイドラ乗りは、命を秤に掛け過ぎると。それは前提であって極めるべき本質ではない、と」
　……今ならわかる。ハイドラは、どうしたって命を火にかける代物だ。それはハイドラの本質の一部ではある。だが、そのプロセスに必要なのは、生と死の肉薄を極めることではない。生と死の接近を認めながらも、それから一切を離脱しなければいけない。
「……そうか。他人事になりゃあイマイチピンと来なかったことも理解できるもんだ。そいつは悲しいことだろうな、ウォーカーにとってもグレースさんにとっても」
　発つ鳥。
　マズルフラッシュ。
　花。
　霧のかきたてる緑色の光、その明滅。
「『ウォーカー』を撃ち落としはした。しかし……それだけということか」
　だから、戻ってきたのか。私は。