真っ白なテキストファイルを眺めていた。何も書かれていないが、このファイルひとつでかなりのデータ量を持っている。でも空白。解析作業中に見かけた筈の大爺様の署名すら消えていた。となれば……失敗か。どうやらデータを壊してしまった可能性が高い。
　数日間にも及ぶ解析作業が不毛な結末を迎えたという事実から目をそらすようにメインモニタに目をやった。街から離れると残存領域の景色は一気に味気なくなる。岩と廃墟の名残。消えない霧。
『結構早かったじゃねえか』
　ため息をついて作業用のモニタに目を戻すと、開きっぱなしだった空白のファイルに文字が表示されていた。
『ハハ、そんなにキョロキョロしても誰もいねえよ。俺だ。お爺ちゃんだよ』
　……この残存領域では非常識なことがいくらでも起こる。それは心得ていた筈なのに、不覚にも全身の毛が膨らみ、ちょっと爪が出てしまった。
『おめえがよ、これ解けるくらいになったらよお、改竄しといた移動ルート真っ先に解析して帰って来ちまうんじゃねえかって爺ちゃんチョッと心配してたんだけどな』
　真っ白だったファイルに、ずらずらと文字が連なっていく。霊障……その言葉が頭に浮かんだ。
『とりあえず要点だけ言うとだな、福鈴、おめえしばらく帰ってくんな。今ちょっとよお、魚吉ん所とドンパチやってっから。あの野郎昔っからちょっかい出してきちゃあぶっ飛ばしてやってたんだけどよ、今回は傭兵なんぞゾロゾロ連れてきやがってもうあっちこっち滅茶苦茶よ。なのに……へへ、福鈴おめえいくら起こしても起きねえからよお、丁度いい機会だってんで爺ちゃんチョッと仕込ませてもらったってワケよ。けっこう効果はあったみてえだな？』
　何度も文字を読み返し、その意味を理解する。……理解すると同時に、段々と腹が立ってきた。
「爺様……あんた何してくれてんの。おかげで何度死ぬかと思ったことか」
『てやんでえ、俺が可愛い孫娘を死なすようなルート取るかよ。ちゃんとそっち着いてスムースに稼ぎ口も出来ただろうがよ？』
　どうしてこちらが話している言葉に反応できるのかとか、そういうことはもう考えないことにした。ここでは何でも起こる。
「そういう問題じゃないでしょ。説明くらいするでしょ普通。なんでいきなり傭兵の真似事みたいなことしなきゃなんないの」
『福鈴よお、お前さんがそれくらいで不安がったりセンチメンタルになったりするタマじゃねえってことは爺ちゃん知ってんだよ。おめえは俺に似てっからよ。腕も間違いなくきょうだいの中で一番だ。まだ毛も生えそろってねえガキがあんな笑えるハイドラ組み上げるなんて普通できねえんだぜ』
『それにパーツ作るならよお、自分で乗って動かして戦ってみねえと分かんねえことがいっぱいあんだよ。得るものは山ほどあった筈だぜ。技術だけじゃねえ、それを買ってくれる奴や、そいつらと演習なんかもしただろ。僚機もいるんだっけか。とにかくそういう、"外のこと"に触れられただろ。おめえにはよ、そいういうモンが足りてなかったのよ』
「……」
　あの大爺様が自分のことを評価してくれていたことも、ちゃんと理由があってこんなところまで送ったのだということも、知らなかった。私は何も知らなかった。肉球に食い込む爪の痛みで、ようやくこれは悔しさなのだと気付いた。悔しい。悔しいのだ。逃げるのをやめて、同じ舞台に上がって、ようやく悔しいという気持ちを知る。全て大爺様の計算通りだった。あの人は効果的に私を成長させ、自立を促した。私のために。私のことだけを思って。それが悔しい。……でも、何より悔しいのは、私が知らなかった私自身の才能を、あの人は信じてくれていたということ。私以外の誰かが、私以上に、私のことを知っていたということ。屈辱だ。こんな屈辱があっていいのか。
「爺様。私帰るわ」
『帰ってくんなっつってんだろがよ。こっちゃパーツ大手の最新兵器のお披露目会だ。そっちより断然危ねえし寝るとこねえぞ』
「ハイドラで寝るもん」
『寝れっかよ』
「見えてるんでしょ？　この快適な操縦棺も、タンクも車輪もエンジンも、私が作ったんだからね。私、天才だから」
『……ヘッ、まあまあの出来だがな』
「だから帰る。帰ってアンタをぶっ飛ばす」
『バカヤロウおめえどうせなら先に魚吉ぶっ飛ばせよ』
「最初からそのつもり。それに……」
『あんだよ』
「もしかしたら、私たちの技術の方が最新鋭かもよ」