ENo.0281　アビダン

アビダンは極力静かに呼吸しながら、モニタ越しに戦場を見つめている。操縦棺の内側、無機質なアラートの光にそこここを照らし出されたその顔色は、いつもよりさらに青白く見えた。そのアビダンの頭を柔らかく撫でるような気配がある。気配。気配だけが。勿論そこには何もない。ただアビダンはそう感じた——そういった霊障がある、と認識した。さざめくような柔らかな笑い声。遠くから。あるいはすぐ近くで。アビダンはああ、と背もたれに体を預ける。呼吸する。冷え切ってはいたがいつもと同じ、心地よい湿度の空気、操縦棺内の酸素ががアビダンの肺を満たした。そうして吐き出す。閉じた空間の中でそれが繰り返され、やがて外側から持ち込まれたものの気配はずっと遠くなってゆく。そこここで霊障が起こる。アビダンには今その適性があった。幾度も重ねられた薄い膜のような霊障の層、その内側にいつのまにやら追いやられて、もはや霊障の内側にいる、そんなような感覚だった。
ハイドラに乗り始めて間もなくの頃、アビダンは自分がこんな感覚を抱くようになることなど、全く予想していなかった。ひどい恐れと不思議な安心感。冷たさの中にある最も心地よい温度。ひどい嫌悪と、そうして慕情——のようなもの。あるいはもっと別の何か……、そんな風な、アビダン自身にも説明のつけられない、あらゆる矛盾を孕んだ感覚は、今や常にアビダンを支配している。
ほんとうに、軽い気持ちで乗り込んだのだ。死んだ人間のライセンスを奪って、ただ金のために、ウォーハイドラという生きた兵器に。そうしてその中で、自分がそれに馴染んでいく……適応してゆく……もはや戻れないところまで。はじめから、操縦棺の心地よさだけは知っていたというのに——なぜならそれは、ずっとアビダンのゆりかごだったのだから。そこで眠り、そこで夢を見、そこで育って来た。そういう場所だった。それがたとえ、見知らぬ他人のものであったとしても——いや、他人のものでないことなどありえなかった。自分自身がどうやって自分自身の中で眠るというのだろう。そうだ。そのせいで。だから、こんな。
アビダンは、はは、と乾いた笑い声を漏らした。体がシートに深く沈んでゆくような感覚がある。深く背中から抱きしめられるような……柔らかく包まれるような。抗いがたい感覚だった。それでもアビダンはぎりぎりのところで踏み止まっている。自嘲することで。否定することで。もはやアビダンには、そんなふうに足掻いてみせることしかできなかった。

（どくん。）