父から母親の話を聞いたことはなかった。
知っているのは写真に写るぼやけた笑顔と、“ナヴィ”という名前だけだった。

***

物心ついたときから、ルキナの傍に母はいなかった。
いたことすら知らなかったくらいに。
母親の存在に気付いたのは、協力会社であるアテナ社とハイアルン社が食事会した時。
当時はまだ5歳程度だったが、アテナ社の令息が母親と並んで食事をしている風景を目にしたのがきっかけだ。

「どうして、わたしには、おかあさんがいないの？」

幼心から聞いた、純粋な質問だった。父親は答えることはなかった。
けれど、その時父親が浮かべた表情が、ルキナは10年以上経った今でも忘れられない。
いつも機械のように無機質で平面的な彼の表情が、わずかに歪んだのを、ルキナは見逃さなかった。見てしまった。

それ以来、父に母のことを聞こうとはしなかった。
社員に聞いたところで、皆はぐらかすばかりで、まともに相手をしようとしてくれなかった。
幼いルキナは、目には見えない大きな力を、そこで感じた。

それでも、彼女の性格もあって、答えを求めようと自分なりに母親の手がかりを探した。
古いデータを引っ張りだしてきては、片っ端から資料を読み漁ったり。
アルバムや本棚を開いは、写真と一枚一枚睨み合ったり。

そうやって数年奮闘して、ようやく見つけたのが、数年前―――ルキナが産まれた年。
機体テストの様子を撮影した、オペレーター室での映像記録だった。
席に着く社員たちの後ろで、小さな子供をあやすように抱きかかえる、白衣を着た一人女性。
ピントがあっておらず、わずかにぼやけていたが、ルキナは当時持っていたあらゆる技術を駆使して、
画像処理を行い、笑っているように見えるその表情と、胸元の名札の文字を解析することができた。

“Navier　Haearun”

後にも先にも、母親と思しき人物の画像は、それだけだった。

どうして、あの日いたはずの母親が今はいないのか。
そして、どうして皆それを自分に隠そうとするのか。

“Navigatoria”

顔も思い出も知らぬ母の名をつけた、ウォーハイドラ。
それは、ルキナにとって、設計士を目指すためのきっかけだけではない。
父への、メッセージでもあった。