「No.27の仮説義腕がえげつねえ性能だ。俺の自前の腕部も型落ちだし、格好はシンプルでもこいつに乗り換える価値はある。格闘制御系を増幅するって触れ込みの回路も組み込み済みらしいしね」
　タバコを吸い、カタログに赤付箋を付ける。残像領域の連中はまだアナログなやり方を好み、こうした物理的なカタログを俺たちに寄越してくるのだった。アンナが横で露骨に煙を避ける。不愉快だ。
「グレースさん、見てみなよ。フクリン……今回も異常に出来がいい装甲だな、専業整備士じゃねえんだろコイツ。他に仕事があるだろうに、金回りに難があんのかね？」
「ふくりんか。この前お目にかかったが、どうやら普通の人間じゃないようだ。あまり多くないが、この残像領域にはそういうのもたまにみるだろう。その手合いであるらしい」
　あとなんでこの婆さんは酒を飲んでる。まあいいんだが。
「似たような手合いでいえばこの動作不良誘発を作ってるのもそうらしい。これもまた凄まじい出来だろう。エネルギーを食うが、最近のエンジン事情から見れば、どうとでもなる問題だ」
「だろうね、それこそ福印がKWSKで作った例の怪物を使っちまえばな。動向を読んだいい製品だ、そういう嗅覚がアマに感じられるのは嬉しいことだねホント」
「今の時代は早い。大量生産品をアセンブルする時代から、オンデマンドで必要なパーツを手に入れるのが今の時代だ。私がパーツアドバイザーをやめたのも、概ねここにある」
　婆さんの言うとおり、時代は変わっている。オンデマンドのパーツでのアセンブルは、古くからの嗅覚でありあわせでやってきたメカニックを泣かせるものだった。そのためか、メカニック任せのライダーそのものも今は絶滅危惧種だ。今やライダーもこなすメカニックこそ強い。
「グレイ・アイシャムが傭兵からパーツハウスに鞍替えしたのも、そうした風潮を感じたのか……いや、それは違うか」
　急に咳き込み、煙をあらぬ方向へ広がらせる。
「……今何て言った？グレイだと？グレースさん、まさかあのグレイとも戦りあったのか？」
「あるよ。一回だけだがね。バトルアリーナで賭けて戦った。お互いの水切れでドローという結末だったが、いい試合だった。そのあと奴んちでしこたま酒を飲んだねえ。
グレイのことはもう話したかと思ってたが、そんなことはなかったか。歳をとるとこれだからいけないね。……あいつは私たちと似ているが、しかし少し観点が違う。あいつも匂い立つ殺気の持ち主だったが、あいつの焦点はハイドラにない。あいつの焦点は自由、速さ、軽さ……それに尽きる。グレイは命を賭けることを好んでいたが、命を賭けるということが、戦いの中に死のリスクと隣り合わせになるということだけではない、そう考えている男だ」
　婆さんは昨日一昨日の話じゃあ無い昔話を、この間あったことのように話す。もう僚機として暫く経つものの、あの御伽噺のライダーと戦った事実が、俺に何よりも衝撃を与えていた。
「驚いた。俺は彼の話を聞いて育ってね、メカニックからライダーになったのもまあ、今考えれば憧れからだったのかも知れない」
　肘をついて横目に部屋の簡易な窓から機体を見る。
「……そうか。俺は今やグレイと同じハイドラ乗りなんだな。彼は強かったかい、グレースさんをもってしても」
「紛れもなく強かったよ。あいつは攻撃を避けることなく、そして攻撃に当たらない。これは言葉通りの意味だ。ウォーカーとは別の意味であいつは速いんだ。すでにこちらが攻撃を放つその時には、既に別のところにいる。それだけ、奴は自分の放った攻撃というものに執着していないのさ。そして何より、行動を読むことが極めて難しい。というのも、先ほど言った通り、奴の行動原理はただのハイドラ乗りとは一線を画した世界にある――つまるところ、自分の世界にいるというわけだな。そんな奴の行動を読むのが、どれだけ難しいか」
「流石に猟師も蝙蝠には手を焼くかい。確かバックファイアでさえ機動に使ったとかも聞いたぜ。俺も戦いたかったな、グレイと。いい勝負になれるかは別だがね」
　珍しく笑顔で煙草に火を点ける。そうか、俺にはそういう相手が居なかったんだな。
「乗り続けりゃあいずれそんなのとも巡り合えるものかね」
「巡り合える。目を閉じていれば、それは否応がなく、いつか立ちはだかるだろう。目を開いていれば、それはそこかしこにあって、いつでも会えるものだ」
　霧とも煙とも言えないものを吐き、現実へと頭を戻す。そう、そいつが運の悪いことに全て奪って行ったのだ。そこかしこにある何かを俺は踏みしめてゆく必要がある。
　俺は携帯デバイスの緑文字が流れるのに気づく。次の演習相手だと犬の顔が吠える。
「―――不幸な霊障とは巡り会いたくはないもんだね、全く」