床に臥せていても口は達者な主人が寝静まったのを見届ける。
　明日には治るだろう。治らなかったら病院に連れて行けば良い。……本人は嫌がりそうだが。
　それからヨシノは、アトリエで自分用のスペースとして宛がわれた一角で、家庭用の通信用端末に打ち慣れた番号を打ち込んだ。
　コールは1回。待ち時間はそれだけ。
　モニターが光を帯び、映像が映し出される。

「……やァ、今時間はあるかね」
「……」
「……、……ミチル？　聞こえてるンだろう？」
「聞こえています」
「……悪かったよ」
「何のことでしょう」

　映像には、青い長髪に赤い瞳、眼鏡を掛けた落ち着いた感じの女性――常と変らない様子のミチルが映っていた。
　が、それは上辺だけであるということはヨシノを知っていた。これは当分、機嫌取りに励んだ方が良いなと判断する。

「あァー……何も相談せず、勝手に一人で決めて、突っ走ってすみませんでした、で満足かい」
「あなたの携帯端末で私を着信拒否にしていたことは？」
「反省してるよ、反省は。でもね、アタシだって情報提供を打ち切られた時は愛想尽かされたかと思ったよ？」
「その前の通信を一方的に切ったのはどなたでしたかね」
「……返す言葉も無いね」

　悪かった、とばつが悪そうにヨシノは繰り返した。
　分かっている。今回の件について、悪いのは完全にこちらだ。何を言っても勝ち目などは無い。
　甘んじて叱責は受けよう。身構える。

「あなたはいつもそうでしたね、ヨシノ。一度決めたら、それしか見えなくなる。後先も考えずに」

　実際のところヨシノは、マヒロとの決着をつけてからのことを考えて行動していた訳ではない。
　ミチルからの連絡を断ったのは、単に邪魔されたくなかっただけだ。目的を達成するために、障害と成り得そうなものは排除した。
　身勝手な行動だと言うことは分かっていた。ミチルも、マヒロを気にかけていたことは知っている。
　故に、暫く顔向けできないとは思っていた。
　それが永遠の別れだとは考えていなかったが、その後会うことが無くとも不思議ではなかった。

「置いて行かれるのは、いつも私だった」

　沈黙。
　ヨシノは何も言えない。
　ミチルもそれは知っている。
　こういう時、口火を切るのはいつもミチルだった。

「その様子ですと、片は付けたようですね」
「お陰様で」
「元気でしたか、マヒロ」
「元気じゃなかったら、あンなことしないだろうさ」
「……ヨシノはこれから、どうするつもりなんです？」
「暫くはハイドラライダーを続けるつもりだよ。ちィと楽しくなってきちまった」
「調子は良さそうですものね、それが良いでしょう。契約の更新はお忘れなく」

　ヨシノのハイドラライダーとしての仕事は順調だった。当然、稼ぎも良い上に、ここのところはランキング上位の常連にもなっている。
　続けない、という選択肢はヨシノの頭に無かった。

「そのまま、あの時代錯誤な魔法使いと組むつもりですか」
「……アタシに居てほしいンだとさ、物好きなヤツも居たモンだ」
「でしたら、場所を伝えた甲斐はありましたね」
「あァ、やっぱりアンタの仕業かい」
「私は訊かれたことを答えただけですよ。そういう仕事ですから。……でも、そうですね。共に居ることを決めたのですね」
「アタシが飽きるか向こうが飽きるか、時間の問題かもしれないよ」
「それでも、貴女はまた誰かと共に居ることを選んだ。……喜ばしいことだ、と思いますよ。貴女、人と居ることは好きでしょう」
「……さてね」

　ヨシノは肩を竦める。
　その実は自分にもよく分からなかったけれど、ミチルが言うならそうなのかもしれないな、と思う。

「ああ、それと。件の音声ファイルですが」
「あの胡散臭いヤツか。新型ミストエンジンが盗まれたのと言い、きな臭い話が続くモンだ」
「戦争ですからね。……次の敵データはご覧になりましたか」
「兎だろう？」
「兎と言えば、白兎生体科学のバイオ兵器の暴走が記憶に新しいですね」
「同じ意見さね。……さァて、どうなることやら」
「面白がっているでしょう、ヨシノ」
「バレたかい」
「悪いとは言いませんが、精々死なないようにお気を付けて」
「ンなヘマはしないさ」
「……さて、長話が過ぎましたね。そろそろ切らせていただきましょう。あなたの安否も、確認できたことですし」
「ミチル」

　呼び止める。赤い瞳がかち合う。
　ヨシノはへらりと笑う。

「また、顔出しに行く。タカサゴの兄さんやら、コマリにも会っておきたいからね」
「……仕方がありませんね。待っておいてあげましょう」