ENo.0328　"Canary"

――おなかがすいてるって、こういう感じ？

空腹を自覚したのは久しぶりだった。
路地に漂う料理の匂いに刺激されたのだろう。
食事は整備の一環であって、決まった時間に決まった量を最低限、
機械的にとらされていた。
ライダーになってもその習慣は簡単には抜けない。

その店は路地の奥まったところにあった。
食事時にはまだ早いせいか、狭い店内は閑散としていた。
隅の席について注文を済ませる。
割り箸を使う自信がなかったので、スプーンとフォークをあわせて頼んだ。

「はいよ、ソースかつ丼」

嗅ぎなれた機械油とは違う、食欲をそそるあぶらの匂い。
いつものレーションとは違う、複雑な歯ごたえ。
そして味は――

――ナニコはやっぱり、おいしいって言うかな。

想像してみる。おいしいデス、あの特徴のある口調。
きっと笑顔。いつもの笑みとはちょっと違う、もっと屈託のない――

――そうしたら、きっと、わたしもおいしいって、笑って。

黙々とすべて食べ終え、代金を払って席を立つ。
使えなかった割り箸の、その袋だけポケットに入れて。

霧の夕焼け空を背に帰り道をたどる。
もう空腹は感じない。

「ソースかつ丼を知らないのデスカ？
　　デハ、仕事の後、一緒に食べに行きマショウ」

これは、永久に叶わない約束の残像。

たとえば、帰り道を見失った山中の崖から。
あるいは、あたたかなベッドで不思議な夢を見ながら。
もしくは、道路を走るトラックの前から。

自身が望むと望まざるとにかかわらず、
残存領域に入り込んでしまった子供たち。

彼らのほとんどは身寄りもなく、
何の後ろ盾もないまま霧深い戦場を彷徨う。

彼らが還る場所はもう、霧の中にしかない。