ENo.0389　ムジカ・ネネウ

　戦場を覆う霧は薄く、亡霊の睦み合いと言った様相はいくぶんか紛れた。無論、いくさの只中にいる乗り手どもにとって、騒がしさと生々しさは、いくらも変わるものではない。
　機内が激しく揺れる中、コンガラサマが生物兵器オルゴイコルコイの細長い胴体をくぐり抜ける。銃身から放たれる炎の線がいくつも引かれている。
　ハンドルを切り返す。あまりに高速の機動のため、レーダーのサンプリングタイムが追いつかず、すでに搭載は諦められていた。クリスはほとんど目視と反射神経で敵に追いすがる。
「それにしてもオルゴイコルコイなる夜叉は緊張感に欠けていますね。
　あれにどれほどの知性が存在しているのか知りませんが」
　言っている方が緊張感のないムジカの声。
「のんきにしやがって！　互いに動き回ってて捕捉できない！」
「あなたの悪罵も聞き慣れましたね」
　託宣の巫女が手首を捻る。カスタネットのような大きさのシンバルを手元でシャン、と鳴らし、額に指を当てる。
「――卯の方向から二体、ドゥルガーもおまけ。三瞬後に到来！」
「オーケー、揺れますよ！」
　急旋回。人の身にあまる加速度が、シートに身体を押しつけたと思いきや、今度は身体を固定するベルトが大腿を強く締め付ける。オルゴイコルコイが目前に現る。
「流石姫様！　覚悟しろよ芋虫女！」
「その呼び方はやめなさい。……あれ、女性なんでしょうか？」
　粒子スピアを抜きはなつ。先端から放たれる高エネルギー体が霧を溶かすようにかき消しながら、まっすぐとオルゴイコルコイの胴体を貫く。
「私よりゃかわいいでしょ、あれ」
「そこが判断基準？」
「だが、それも死ねば徒花よ」
　体液で視野が濡れるなか、ふいにムジカの叫び。
「――跳んで！　そのまま正面に！　死にたくなければ」ふいに叫ぶ。
「おうよッ！」
　うじゅるうじゅる。
　先程までコンガラサマの居た空間に、奇怪な軌道を描くヒートストリングが殺到する。腕を前方へ差しながら跳躍。間の抜けた断末魔。
「善し！　撃滅確認。気を緩めず。不善の兆し未だあり。脚を殺されないで！」
「まったく、ジンツーリキ？ にはおそれいりますね」
「託宣が成り立つのは、告げるものと聴くものの双方が居てこそ。
　――次は艮です！」
　バーナーが点火される。五爪で敵機を焼き切る算段。
「バラバラに焼き切ってやります！」

　薄膜一枚隔てたむこうで、金属や金属でないものがひしゃげ、破砕され、切断される。戦場のずっと遠くで、撃墜されるスレイベル。オルゴイコルコイの波打つニキシーチューブに絡め取られ、燃え尽きる音。
　死に近づくほど死は遠ざかっていく。それとも、死が遠ざかるほどに死は近づくのか。怖くはない。本当に？　ムジカの感情は常に疑わしいものだった。少なくとも惜しいと思い始めていたのは確かだった。

「――ところで……」
　咳払い。
「帰ったら何を食べますか？　わたしはあのあんかけ焼きそばというのがいいです」

全員がハイドラ（夜叉）に携わる宗教団体。
辺境にコミュニティが存在し、出身者は基本的にいずれもがネネウを名乗る。
教義は他ハイドラの一切の破壊と無力化。