ENo.0008　エリカ＝ヒースハイデ

「俺と画家はあいつが死ぬまでの間一緒に生活していた。
　とはいっても三、四年ほどの短い期間だ。
　あいつと過ごした時間はたったのそれだけしかなかった。
　それでも俺はあの時こそが、自分の生きてきた時間の大半を占めるだろうと感じる。……おかしいと思うか？」
「……とても充実した時間だったのですね」
「ああそうだ。あいつと過ごした時間と比べれば十年でも二十年でも空虚だ」

男は大きく腕を広げながら歩く
広げた手の先が女の肩にぶつかり　女は顔を顰める

「あいつには俺が知っている限り二つの《芯》があった。その一つが絵だ。
　あいつは毎日筆を持ってキャンバスに向き合っていた。それが戦場の中でも」

「最初はやたらと外に出歩きたがっていたが、しばらくするとそれは無くなっていつも拠点に居るようになった。
　後々知ったが、あいつは豊かな自然の中で絵を描く事が好きだったらしい。
　残像領域はどこまで行っても霧に包まれた荒野だ。さぞ退屈だっただろう。
　それでもたまに出かけたくなるのか、技師と一緒に遠くへ引きずり回される事もあった」


「……あの方が、引きずり回されていたのですか？」
「技師は引きずり回す側だと思うか」
「……率直に言えば」
「あの胡散臭い雰囲気の割に真面目でまともなんだ。意外だろう？
　自由気ままな画家を止めるのはいつも奴の役目だ。俺は特に止めなかったからな」

「先程画家の《芯》の話をしたな。もう一つの芯の正体は……悪いがこれはお前には言えない。
　技師ですら聞いた事の無いあいつの《芯》を、俺だけが直接聞けたんだ」

男は目を閉じて思い出す
まぶたの裏にはっきりと浮かぶ親友の顔
男の記憶の中の彼はいつも眩しいほどの笑顔を浮かべていた
確かあれは絵以外になにか拘っている事はないか気まぐれに聞いた時だった
そして彼も男の問いに気まぐれに答えた


「んーとぉ、これは誰にも内緒でお願いしたいんですけどっ。技師くんにもね」
「ああ」
「人を造りたいんだ」
「……人を？」
「そう、人っ！　厳密に言うと、自分で考えて身体を動かせて、感情のある生きた存在、って感じになるのかなぁ」

画家は人差し指を立てて顎をとんとんと叩く

「……それを叶えるためなら、お前は何ができる？」
「何でも」
「…………」
「差し出すのは俺の全てだよ　必要なら俺以外の周りの誰かのものでも、全部っ」

「神様の真似事するならそのくらい必要経費だと、俺ちゃん思うんですけどっ！」

男は彼の瞳の奥に潜んだ色を目の当たりにした
彼は狂人だった
目的のためなら自分どころか他人の命を犠牲にすることすら厭わない
それどころか他人の屍を足蹴にしながら平然としているような　彼はそんな人間だった

彼と男は同じだった


「…………ああ。そういう事か」

男はそこでやっと得心がいった

（お前は自分の芯を貫いたんだな。自分も他人も、全て犠牲にして）

素晴らしい生き方だ　男はじんわりとした感動を覚える
心の隅に存在権を主張するもやはその感動で覆って見えないようにした
そのもやを男以外の誰かが目にしていたなら　彼か彼女はそれを「寂しさ」や「未練」などと呼ぶのだろう



「え？　……これを私が？
　はい……あ、いえ、えっと、受けさせていただきます！　喜んで！
　でもその、ハイドラのテストって何をすれば……ハイドラなんて乗ったことないですし……」

「……ほ、本当にそれだけでいいんですか？
　あっでも動作テストですもんね……はい……」

「拇印って朱肉でいいんですよね？　はい、……はい！
　ではその、えっと、よろしくお願いします！　短い間ですがっ！」



「……ああ、よろしく頼む。《短い間だが》」

*にゃー*