フォスフォラスの様子がおかしい。そわそわしている。
　結局、例の腹痛は一日で治った。
　自分宛てに遺書まで書いていたのは流石のヨシノも面食らった（し、バレないよう一人の時に笑っていたのは内緒だ）が、兎に角、翌日には嘘のように治ったのだ。
　恐らく、顔を合わせ辛いのだろう。
　ヨシノとしては別に気にすることなど何も無いのだが、彼の主人はプライドが高いのである。
　こういう時の対処法は一つ、気にしないこと。いつものように適当に接しておけば、自然に落ち着くだろう。
　ヨシノはそう思っていた。

「ふむ、ヨシノよ。此処に居たか」

　ガレージで『石竜子・弐式』の点検をしていたヨシノに、そんなフォスフォラスが声を掛けてきた。
　服とコートはきっちり正し、妙に勿体ぶった歩き方で近付いて来る。対してその視線は右往左往し、落ち着かない。パイプを手に持ったままくるくると回している辺り、そこからも余裕の無さが窺えた。

「出撃の準備中か。大変結構だ。だが、今は少し私の質問に付き合って貰おうか。」
「何だい、手短に済ませてもらいたいね？　『ご主人サマ』の仰る通り、機体の点検中さ」

　特に主人の様子に対して言及はせず、下僕は振り向いて返事をする。
　今回の仕事は結構な数の敵を相手にするし、戦争だから当然ではあるが、特にきな臭い。それに対して不安でもあるのだろうか、と思ったのは一瞬である。自分の主人はそんなことを気にするタマではない。

「なに、大したことでは無いのだ」

　常と変わらず、厳かにフォスフォラスは問うた。

「何か欲しい物はあるか、ヨシノよ？」
「……はァ？　欲しい物？」

　いきなり何言ってんだこいつ。
　ヨシノの正直な感想である。
　不可解そうにまじまじと見下ろすヨシノの視線を気にする風も無く、フォスフォラスは更に言葉を続ける。

「別に悩むほどの事でも在るまい。何でも私が買ってやるぞ。金の心配なら要らんからな」
「……いや、いきなりどうしたんだい。欲しい物ってェ言っても、急に考え付くわけでもあるまいし」

　欲しい物。
　自分の、欲しい物。
　ヨシノは物欲が薄い。
　経済的に貧窮していた昔は、余計なものを買う余裕は無かった。生活に余裕が出来てからも、必需品以外に何か買う必要性をあまり感じなかったのだ。アトリエの居住スペースにも、私物は殆ど無い。
　ここ最近、自発的に買ったものは魔法使いを驚かすための家電くらいだろうか。ただ、これが『自分の欲しい物』と言われると多分、違うのだろう。
　だから、突然そんなことを言われても困る。

「ええい、もう良い！　お前の頭の中は、次の戦闘のことでいっぱいということか！　よーく分かった！」

　しかし、その態度が『ご主人サマ』は気に食わなかったらしい。腹を立てて踵を返してしまった。
　どうして怒るのか。そもそも、どうしてそんなことを言い出したのか。ヨシノは理解できなかった。
　まあ、話は切り上げられたようだしこれまでだろう。

「ならば、戦いが終わるまでに考えておくことだ！　お前が乗り物から降りてきた後に、もう一度聞くからなっ！」

　と思ったのだが、そうでもない。話はまだ続くらしい。
　怒りながら去って行く背中が見えなくなる前に、ヨシノは声を掛けた。

「――フォスフォラス」
「……なんだ？」　

　フォスフォラスはゆっくりと振り向いた。今度はパイプを咥えたまま、些か不服と不安を表情に携えて。
　ヨシノは答える。
　魔法使いの考えることは解せないが、恐らく自分のためであろうから。
　笑ってみせる。

「よく分からンが、支障が出ない程度に考えとくよ。……楽しみにしてるさね」
「……ふんっ！」

　それを聞いてフォスフォラスは再び、前を向いた。

「忘れたら承知せんからなっ！」



　***



　敵は14体のバイオ兵器。そして、盗難されたと報じられていたウォーハイドラと同じ名前の未確認WH『ミスト・アヴェンジャーⅡ』。
　依頼はお馴染みの白兎生体科学。
　成る程、いつもと変わらない戦争だ。
　どうしようもないくらい、いつも通り。これがこの世界だ。
　けれど最近、変わるものだってある、と思う。
　ともあれ、今日の仕事はさっさと終わらせる必要がある。
　『ご主人サマ』に買ってもらう物も、決めなければならないのだ。

　霧濃度193%、電磁波濃度197%。
　視界は最悪。いや、最高だ。

「――良い天気だ」

　レバーを引く。アクセルを踏む。
　ぎょろりと目を光らせ、『石竜子・弐式』が出撃する。
　深い深い霧の中、傭兵は笑った。