ENo.0064　タカムラ＝カミツ

act.0
　意識が戻るのは唐突だった。
　ぱちっと覚醒する、とはおそらくこういうこと。見慣れない暗い天井、自分が何をして、どうしてここにいるのかよくわからずにゆっくりと目を瞬く。固い床に寝ていたからか背中が痛い。薄暗い視界が徐々に暗闇に慣れてきて、積み上げられた金属片と閉ざされたシャッター、転がる工具が目に入る。
　頭を振りながら上体を起こした瞬間に、低く唸り声のようにも聞こえる、エンジンの駆動する音ーーそこにある機械の起動する音が聞こえた。まだ慣れない暗闇のなか、ぼうっと青い光が灯る。
　目の前にいたのは機械――端的に言えば、ロボットだった。
　青い光に照らされたのは人型ではないと知らしめるような長い機体。くすんだ灰銀の胴体と蒼く輝く目。まるで蛇を思わせる長い胴体の……おそらく背中と言えるような辺りには排出口のような形の部品が４つ繋がっていた。記憶ではなく知識でもって思い出すのは、とある文明の言い伝えにある蛇の神。翼ある蛇、その姿。
　ーー。
　不意に。耳に届いたのは声だった。耳？　そもそも届いた場所が耳だったのか頭のなかだったのかわかりそうにもなかった。ただ、自分を呼ぶ声を聞いたような気がしていた。
　よろよろとその場から立ち上がる。視界の足元は青い作業着、汚れた軍手から落としたスパナが床とぶつかってからんと固い音をたてる。記憶が混濁していて、明確に状況を思い出せない。自分は何故ここに。どうして目の前にこれがいるのか。答えが出ないまま自分が自分であると確かめるように手のひらを握る。一度、二度。
　ーー。
　名を呼ばれた気がした。たかむら。そう、自分の名前。神津篁。口のなかで言葉にしてから目の前の機械を見上げた。混濁したまま変わらない記憶は目の前の存在を明確に何であると説明してくれない。ただ、『これ』は悪いものではないと、それだけは理解していた。
「……ユカ」
　自分を呼ぶものに対して口をついて出たのはその名前だった。どうしてその名前が出たのか、篁にはわからない。ただ、自分を呼ぶ音の響きがそれを思い起こさせたのかもしれない。ユカ。記憶の中からひとつ、思い出される少女の姿。思い出してはいけないと心のどこかが囁いたような気がしたがすでに遅かった。
　フラッシュバックする記憶。肌を刺す冷気。開かれた窓の外と、降りしきる白い雪はすべてを染めるようで。だがその雪すらも溶かして存在を主張する赤い色。ーーその中心に横たわる、その。
　ずきりと頭が痛んだ。フラッシュバックされたそれはスノーノイズに掻き消されてまた記憶の底へと沈んでいく。痛む頭に眉をしかめつつ蛇の姿をした機械をただ見上げた。
　ーー。
　大丈夫？　と。問う声が聞こえた気がした。
「ユカ、なのか？」
　問いに答えは返らない。蛇型の機械の蒼い瞳が緩やかに明滅を繰り返す。軍手を脱いだ指先を灰銀の胴体に触れさせる。ウォーハイドラ。霧の国。心の底で何かが囁く。これに乗るべきだと。
「……ユカ」
　名を呼べば、微かな答えが帰ってくる。ひとりではない。安心感がほっと自分を包み込んで、篁は小さく口許に笑みを刻んだ。『これ』は、味方だ。記憶の危うい今の自分にとっての、何よりも確かな味方。
「……行こう。おまえとなら、大丈夫」