ENo.0328　"Canary"

コロッセオがはじまる。
これまでとは違う、ハイドラ同士の戦いだ。
街は活気づき、人々は浮かれている。
わたしも間違いなくそのうちの一人だ。

そんな空気の方が都合の良いこともある。
皆、出場予定のハイドラが次々と映しだされるモニターや
ランキングとオッズの書かれた紙面を見るばかりで、
子供が一人どこに行こうと気にするものはない。
自らの気持ちを引き締め、ジャンク街の外れに向かった。

ジャンクパーツが無造作に並ぶ店の一角では、
以前と同じように子供が店番をしていた。
薄汚れたぼろを纏った少年。もしかしたら少女かもしれない。
前に立つと、光のない茶色の瞳が見上げてくる。

「《N.E.T.》は居る？」

そう声をかけると彼はうなずき、店の奥に視線をやる。
その先には、8つの目のような球を持つ頭、丸く膨れた胴、8本の脚。
蜘蛛を模した小さな機体があった。
小型のハイドラのようにも見えるが、これに乗れるとしたら
相当に小さい子供だけだろう。

子供にチップを渡し、蜘蛛に近づく。

「久しぶり。知りたいことがある」

暗かった8つの目に青い光がともり、ざらざらした機械音声が聞こえてくる。

「ようこそ、"迷い子"、思ったより遅かったね」

「タニア・クーガーの過去と、今を。対価は前と同じでいい？」

「そうだね、ひとりぶんならね」

「わかった、倍、出す」

そう返すと、蜘蛛の8つの目がばらばらに、赤と青とに点滅する。

「きみは、きみが必要とするだけ賢かったようだ。……褒めてるんだよ」

笑いを含んだ声のあと、なだめるように蜘蛛は続ける。

「この場で口頭で伝える方が都合がいいだろう？　さあ、聞きたまえ。
　賢いきみはメモを取ることくらいはできるはずだ」

もしわたしが本当に賢いのなら、もっと早く、
欲しいすべてを引き出せる質問を用意できるだろうに。
……そう思っても口に出さない程度には、わたしは賢かったようだ。

そんな自嘲を知ってか知らずか、青い目に戻った蜘蛛は情報を吐き出す。
ふたりのタニア。
わたしの知らない彼女と、知っていると思っていた彼女。

これが望む天につながる糸になるかは、まだ分からない。

たとえば、帰り道を見失った山中の崖から。
あるいは、あたたかなベッドで不思議な夢を見ながら。
もしくは、道路を走るトラックの前から。

自身が望むと望まざるとにかかわらず、
残存領域に入り込んでしまった子供たち。

彼らのほとんどは身寄りもなく、
何の後ろ盾もないまま霧深い戦場を彷徨う。

彼らが還る場所はもう、霧の中にしかない。