ENo.0079　レナンティス

「おい、そろそろ起きろ」
　耳慣れた声が耳を擽って、蠅を追い払う要領で乱暴に手を振る。
「うるっさいあっち行け～昨夜寝てないんだって言ったでしょうが～」
「ああそうだな。だが良いのか、今日の朝食番は貴様だろう」
　依然として態度の変わらない口調を危うく聞き逃し掛けて一気に目が覚めた。
「それを先に言えっ」
「あぁ、おはよう」
　いつもの太々しい笑顔が微笑んでいる。笑顔が微笑むとは重言も良い所だがそう言いたくもなる位の笑顔である。灰色の毛を掻き毟って寝起きの苛立ちを誤魔化しながら昨日の寝床にしていた冷たい床から立ち上がる。
「おはよー……ええい、ちゃっちゃと準備するか！」
「ああ」
　共同生活を送っている関係上、様様な雑事には厳然かつ公平な当番制が敷かれており、如何なる事情があろうとも無断ですっぽかす事は許されない。朝当番は七時までに人数分のお茶と朝食の支度をすると言う重要な使命を担っているのである。
「うーん碌な材料がないな、こういうことならやっぱり昨晩一人でも仕入れに出るべきだった」
　一通り袋の中を漁ってはみたのだが中途半端な残り物を掻き集めるしかなさそうである。隣では様子を眺めながら思案顔。
「さて、どうする？」
「やっぱりマリエッタさんの事も考えれば身体に負担にならないようなおかゆとかフレークとか、そういうものがいいんだろうけど……」
「あ、よかった、間に合ったか？」
　突然紫の目の少女が灰髪を靡かせて息を弾ませながら混じって来た。本来ここにいる筈がないので目を丸くする。
「どうしたの、レナ。マリエッタさんに付きっ切りじゃなかったの」
「おや、ひょっとして食料の差し入れかね？」
　目敏い相方の言葉で不覚にも遅れ馳せながら両手に抱えられた包みに気付く。
「ああ、朝市場に良い感じのものが売ってたからさ」
　はにかみながら紐解かれたのは、バナナ、オレンジ、林檎etcetc、たっぷりの果物と、小麦粉、パン、調味料。取り敢えず歓声。
「うわああありがとうレナ！　助かった！」
「ふむ、これだけあればなんとかなりそうだな」
「あぁ、よろしく頼むぜ朝食当番！」
「うん。レナは……引き続き？」
「もちろん！」
「……………………」
問いかければ、少女はにこりと笑った。屈託のない笑顔だった。

…………。
「さて、今日はパンケーキか？　それともオムレットか？　私はどちらでも構わんぞ」
「暢気だなあ、ユベルは」
　少女を見送り、何事もなかったかの様に紅茶を淹れる準備を進める相方を睨み上げる。
「お前は妙に突っかかるな。なんだ、妬いているのか？」
「それはある。大いにある」
「成程、貴様は本当にレナが大事と見える。昨日のマリエッタ嬢の撃墜、真に動揺したのはレナではなく”貴様の方”かね？」
「……当たり前だよ。レナはほんとに、腹が立つくらいにいい子なんだから。腹が立つくらいに幸せになってもらわなきゃ困るし……だからマリエッタさんにも危険な目に合って貰ったら困る」
「ふむ、っと、沸いたな」
　薬罐の湯をティーポットに注ぎながら、意外な言葉が続いた。
「私は問題ないと思うがな」
「はあ？　なんで？」
「さて、こればかりは悪魔的直観としか言いようがないが」
　薬罐を炎に戻して右へ左へ首を捻る。
「少なくとも、我々が心配する程度には弱くないだろうよ」
「……それは、オレもそうだと思うけど。だけど、”あいつ”のせいでレナは辛い思いしてきたんだ。なら、次は幸せになってほしいじゃないか。絶対。」
　聞き分けのない駄駄だと自分でも思うけれど、瞼に焼き付いた泣き顔は、そう簡単に消えてくれない。
「ああ。その分両名には精々頑張ってもらうとしよう」
　泣き顔に笑顔が微かに被る。これがいつか上書きされるなんて、本当に信じて良いのだろうか。
「あーもー、わかってるよ！ オレだってレナが幸せなら言う事なんてないの！　大人げないだけさ、わかってるもの。ふーんだ！　ちょっと支度してくる！」
　散々拗ねておいて、物言いたげな赤紫の瞳を振り切る様にその場を後にする。まだまだ修行が足りないと思うが、どうせこんな事で気分を害してくれる様な相方でもないというのがまた、癪に障るのだった。

がらくたと、猫と、幽霊と。
特に何もしません。まったり。