「……あんたは、ちゃんと生きてるのか」

　『タランチュラ』に乗り込む最中、振り返ったマヒロはヨシノにそう言った。

「姉さんが悲しまないような生き方、できてるのか？」
「……さてね、少なくともアタシは何も変わっちゃいないつもりさ。あの子が傍に居た頃から」

　そのつもりでいる。
　仲間の死など慣れたものだった。
　だから、何も変わっていないはずだ。

「それで悲しまれちまうなら、どうしようもないね」
「……あんたは馬鹿だね」

　ヨシノは何も言い返せない。
　馬鹿なのだろうな、と自分でも思っている。

「俺に、……姉さんに構うより、あんたはあんた自身のことを構った方が良い」
「……マヒロ、」



「その方が、姉さんも喜ぶ」



　***



　再び、戦場は静寂に包まれた。
　後に残されたのは、ヨシノと彼女のウォーハイドラだけ。

　話はここで終わるはずだった。
　チープで未練がましい、しみったれた傭兵の話はここで終わり。
　傭兵がその後どうなるかなんて、酷く些細なことだ。気に留める者など居ない。
　話は、ここでおしまい。
　そのはずだった。

　ごろごろごろごろ。
　聞き慣れた車輪の音がする。
　目を瞠る。

「ヨーシノー！」

　次いで聞こえた声は、もう随分と聞き慣れた、しかしもう二度と聞かないであろうと思っていたそれだった。

「この大バッカモーン！！」

　土煙を上げて、古式の大砲もとい、『1586年式巨大砲『ヘルマン』改』が転がってくる。
　勿論、搭乗者である魔法使い――フォスフォラスを乗せて。
　ヨシノは歩み寄るようなことはしなかった。愛機の傍ら、肩越しに振り返った格好のまま、合点の行かない表情で魔法使いを見ていた。
　爆音。超大口径の砲口が火を噴く。
　ヨシノの遥か頭上を、時代錯誤な鉄塊は放物線を描きながら宙を飛び、地面に落ちて転がって行った。
　見上げた先、反動でぐらりぐらり揺れる大砲の上で、魔法使いはふんぞり返っている。

「私の怒りを運動エネルギーに置換して表現したぞ、ヨシノ！」
「……何しに来たンだい、フォスフォラス」

　ヨシノはカチューシャが無くなった髪を掻き上げた。声音はいつもと変わらない――いや、あの鉄塊が愛機や自分目掛けてではなくて良かった、とは流石に思ったが。
　何をしに来た。ヨシノはそうとしか訊かない。
　彼女の中では魔法使いとの契約関係はとうに破棄されていて、もう終わったものだと思っている。
　だから魔法使いがこの場に現れたこと、それ自体が不可解で仕方が無かった。
　ガタンゴトンと喧しい音を響かせながら、大砲がヨシノにゆっくりと近付く。
　それを待つ義理は既に無いが、足を動かそうとも思わなかった。
　凡そ普段の話し声で互いの声が届くであろう場所、そこまで辿り着くと、魔法使いは咥えたパイプを手に持ち直した。
　大砲の上で逆光を背負いながら、ヨシノに向けて返事を投げ掛ける。

「お前を叱りに来たのだ、ヨシノよ。」
「はァ、叱りにねェ」
「そうだ。私に無断で勝手に3日も留守にしよって。この数日で私がどれ程の苦難を得たか、下僕のお前には想像も付くまい」
「無断たァとンだ言いがかりじゃないか。書き置きは残して行っただろう？　懇切丁寧に理由も書いて、だ。アタシなりの誠実さは示したつもりだよ」
「ええい、私に口頭で伝えなければ無断と同じだばっかもん！　下僕から一方的に契約を破棄するなど聞いたことも無いぞ！」

　フォスフォラスは大砲の上から飛び降りて、ヨシノの傍に着地した。
　服を調え終えるや、魔法使いは元下僕を真っ直ぐに見上げる。

「あー……まァ、そりゃァ悪かったね。そこに関しては謝っても良い。だがね、良く考えて御覧。今回の契約破棄は、アンタにとっても良いことじゃァないか。お互いの利になる。とすれば、問題は無いように思うがね」

　魔法使いを見下ろして、元下僕は淡々と言った。
　お互いの利になる。ヨシノは本気でそう考えていた。
　自分と魔法使いとでは、求めているものが違うのだ。故にヨシノはフォスフォラスの許を去った。
　そこに何の不都合があるのだろう、と思っていた。

「な、なにぃ利だと！　利だと言ったな！」

　むっすりした表情から一転、フォスフォラスはいきり立った。
　魔法使いの怒りを表すように、手に持ったパイプから煙がモクモクと立ち上がる。

「さては、お前……」

　やや口籠りながら、魔法使いは鈍重に呟いた。

「私に、愛想が付いたのか……？」

　訂正。
　あの煙は怒りではなく、きっと動揺だ。