そのガレージは人目を避けるようにひっそりと佇んでいた。
　辺りはまるで霧の海に沈んでいるかのように静まり返っている。通信ログに残されていた座標と現在位置を確認してからハイドラを降りた。爪の先でインターホンを押すと、少しの間を置いてシャッターが開き始める。
「わざわざ本当にすまない。そのまま進んで、正面の壁まで来てくれ。」
　促されるままにガレージ内に足を踏み入れると、背後で錆びた固定砲台が旋回するような音を立ててシャッターが閉まった。薄暗い室内に合わせて瞳孔が拡大し、触毛が微弱な空気の流れを読み取り、耳がピンと前を向く。特別に何かを警戒したという訳ではない。しかし自然と手は道具入れからハンドガンを取り出していた。
　人の目よりも数段階明るく見えるガレージ内は、天井の高さも相まってがらんとした雰囲気を感じさせる。壁際には襤褸布を纏った特徴的な逆関節機体が、その奥から射す緑色の光に縁取られて不気味に鎮座していた。緑色の光源は見覚えのある培養装置だ。低い稼動音がガレージ全体に響いている。それに混じってシューシューと一定間隔で鳴るふいごのような音を捉え、右耳がぴくりと震えた。
　背の低いカウンターを迂回して音の方へ進むと、床に点々と続く赤い染みが目に入った。血液。あるいは酸化した培養液だろうか。右手にあるデスクの奥にはベッドが見えた。皮膜コーティングの概念が無い異質な義肢がシーツの下から見え隠れしている。生身の身体を布で包み、点滴と呼吸補助器の管に繋がれたその姿は、彼が操るハイドラそのもののように見えた。
　軽くため息をついてハンドガンを道具入れに収め、てこてこと歩く。
「ふむ、難儀そうですな。こんな状態でよく作戦に参加できましたな」
　反応が無い。インターホンでの応対後に気を失ってしまったのだろうか。予想よりも彼の身体は傷んでいる。はたしてどこまで修理できるか。
「ま、報酬を頂いた以上、我輩も契約を果たさねばなりませんからな……ほれほれ、ふくりんが来ましたぞ」
　肉球で顔をてしてしすると、かすれた呻き声とともにうっすらと眼が開いた。
「…ありがとう、いや済まない。呼んでおいて寝ていてしまって…」
「まあいいですぞ。具合が良くないようですからな」
　頬に触れた感じでは、汗をかいているせいか体温は低かったものの、重篤という訳ではなさそうだった。ぺらりと軽くシーツを捲って全身を検めるが、目立った外傷は無い。
「……ところでそこの床に血のようなものがありましたが、どこか怪我でもしましたかな？」
「ああ、頭を打ったものじゃないかな…痛みで倒れてしまったんだ。傷はすぐに薬を飲んだから…もう塞がっているよ。問題というのは、手足以上にその痛みのほうなんだ…俺の手足から、腰の管が繋がっているだろう？」
　確かに、四肢の付け根辺りから管が腰の管へと伸びており、一本の太い管と接続して背中へと消えている。
「これが、俺の脊髄と四肢を直結しているんだが…脊髄内を走っている部品が劣化して、動作不良と周りの神経に酷い炎症をもたらしているらしい。薬で痛みを和らげて短時間なら動けるが…もう長くは続かないだろう。」
　その説明で、ここまで彼が衰弱していることに合点がいった。神経を直接苛む痛み……例えば虫歯の処置でさえ、麻酔が無ければ拷問に等しいというのに。ここ数日彼はそんな状態で戦っていたのだ。名前の通り、正気ではない。
「なるほど……そういうことでしたか。しかし脊髄とは参りましたな。我輩、義肢のメンテナンス方法を学んではきましたが、そこまで深い部分はさすがに範囲外ですぞ」
「ああ、とてもじゃないが手を入れられる場所じゃない…ただ、過去に俺に用いられた機械の資料なら残ってる。ナノマシンの生産、注入、命令を一括で行える小型培養装置…尤も、俺以外の被験体は全員死んだが…隣の抽斗のチップにまとめてある。最後の頼みになるかもしれないが、そいつを作って俺に使って欲しい。」
「ふうむ、ナノマシンですか。その方法なら背中を開く必要もなさそうですな……。培養装置の作製なら我輩にうってつけの仕事、まあチョッとやってみますかな」
　最後の頼み、という部分はあえて無視した。別に自分の腕に自信があるからではない。グレースという人間から得た情報から考えて、それほどの技術を持ったまま――恐らく目の前の彼によって――消え去ったカワサキという会社は、幾度となく人体実験を繰り返したのだろう。だからこそ今はその非道な研究の積み重ねを、ここにある確かなオーバーテクノロジーを、信じられるような気がしたのだ。