ENo.0076　マリエッタ

さっくりと軽快な音を立てるパイの中には甘く柔らかな林檎のコンポート。
バターの風味と甘酸っぱいそれが口いっぱいに広がれば、仄かに口角が上がる。
心の中で『久々にしては、上出来』なんて呟いて、そうして目の前の皆の反応を僕は楽しんだ。

☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆

意外だろう、意外だろう。
そうして驚く姿を見るのは僕の楽しみの一つでもある。
いつからだろうか、こうして他人様の驚く姿を見るのが楽しいと思ったのは。

「……まあ、それは置いておいて。」

驚く姿を見るのもいいけれど、作ったアップルパイが受け入れてもらえる味で良かったと
そっちの安堵の方も大きくて。
きっと僕は今、心底安心して、そうしてとても気の抜けた様な笑みを浮かべている事だろう。
……こんな表情をしてはいけない。
はっ、と我に返り、表情筋に力を入れる。
それでも、目の前の『気合があれば幽霊だって何でもできる！』って脳筋を疑ってしまう煩くて仕方のない
こいつの笑顔を見ると、つい表情は崩れてしまう。

「何時まで、共にいられるんだろうねぇ……。」

なんて。
ついポツリとそんな言葉が口から漏れ、慌てて口を閉じる。
聞かれなかったよな？うん、大丈夫、きっとこいつは好物を食べる事に夢中だ。
捻くれ猫はともかく、ど天然少年猫、もきっと聞いてはいないだろう。
小さくわからぬように溜息を吐いて。適度に話を聞きつつ、やや暫くお茶の光景を眺めていた。


☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆

何時まで共にいられるだろうか、なんて聞いたらあいつはどう答えるだろうか。
今までの言動とあいつの性格から言えば、「地獄に連れてくまでぜってー離れねェし」みたいな事を
言うんだろう。
何だかんだ、今まで僕の背後にくっついてきたわけだし。
でも、この先一緒に居て、仮に僕の本性がわかったとして、同じ事を言う確証は？

確証なんて、ない。

「……馬鹿だねぇ、僕は本当に。だからあれ程、他人に深入りしてはいけない、って言い聞かせてきたのに。」

これ以上依存してはいけない。
離れてしまった後、独りで生きていけなくなる。
だから、少し離れなければ。気持ちを離さなければ。

「もう、遅いよ……。どうしてこんなになるまで、踏み込んでしまったんだ。」

不安なのに、悲しいのに、湧き出る負の感情を拭いさる方法も無く。
あるとすれば、それは

「こっそり、見つからないような所にでも逃げようかな。」

なんて、夜逃げでもする馬鹿な図が脳裏を過ったり。

「あるいは………―――」

果ては、通常ではありえない思考にすらも陥って。我に返り、慌てて両頬を叩いた。
寝床に四肢を無造作に投げる様に横になれば、瞼を閉じる。
きっと疲れているんだ。慣れない機械の操縦と、戦闘と。
それから、次に受ける要塞の話に気を張り詰めすぎて。
きっと、疲れて…………。

考えるのすら疲れてしまった僕は、そのまま意識を手放して、睡魔に襲われるがままに
その日は眠りに落ちた。

☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆+☆

「レナ……、レナ……。」

ぽつり、ぽつりと呼ぶあいつの名前。
それに反応して、返事と、いつもの屈託のない笑顔が返って来る。

そんな夢。
そんな他愛もない、夢。

でもそんな夢が、僕は、とても嬉しかった。