ENo.0008　エリカ＝ヒースハイデ

エリカはせわしなく操縦棺を爪で叩く
かつかつした音が反響して揺れる　広がる
走るノイズと眩暈
彼は苛立ちを隠せないようだった

「Erica」
「あ゛？」
「はは、おキレなさっている」

技師は頭が締め付けられるような感覚がしてヒースハイデの近くから離れる
猫は何もないところへ向かって鳴く
心配げな顔の巻き毛の女


「吐きそう」
「吐くならそこから出てからにしときなよ」
「ちょい今口チャックしてもらう感じで頼めね？」
「善処」

操縦棺の中でエリカは回る　前へ後ろへ右へ左へ
しばらくぐるぐるしているうちに言いようのない感覚の波が収束し　一つの言葉が脳裏に浮かぶ


（溶けそうだ）

溶ける　体が操縦棺内に満ちた羊水のような液体へ溶けていく
何もかも溶けてほどけて　あるべき状態に還っていく
全て溶けてしまった後には　人格などない　指令に従ってハイドラを動かすだけのパーツが残る


（俺は、……どうして、あんな喋り方してたんだっけ）

溶ける

（俺は、どうして猫が好きなんだっけ）

解ける

（俺は、どうしてこんな姿してるんだっけ）

融ける

（俺は、）



（……どうしてあの時、エリカって名乗ったんだっけ）


初めて出撃したその直前　彼の記憶はそこから始まっていた
必要がないので特に過去を思い出そうとした事はなかったが　たった今　ある記憶が鮮明に蘇る
「彼」は霧に包まれた荒野の中ではあまりにも眩しい笑顔を浮かべていた


（……ああ、そっか。名前、つけてもらったんだ）

細い指先でモニターを撫でる
普段殆ど確認していないそれはヒースハイデのHCSのシステムログを流す

（俺は、Ericaだ）

（エリカ、……ヒースハイデ）


呼びかけに応えるようにヒースハイデが身動ぎした　気がした



「なあ」
「うお、っとっと……何？」
「帰ったら話あんだけど」
「俺に？」
「ん」
「巻き毛ちゃんには？」
「あー　……　じゃあ　うん　猫係にも話すわ」
「りょーかい　……行ってらっしゃい」
「……ん」

*にゃー*