ENo.0281　アビダン

ーー　（ノイズ）　ーーーー　ーーーーーー　ーー

（音声記録）（いつかの）（誰かの）　ーー　ーー　　　ーーーー　　ーー　ーーーー

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ああ。目が覚めたか。災難だったなァ。領域殲滅兵器の暴走だってね……
……あんたも、生きてるだけマシな方だと思ってくれよ。何人死んだって言ってたかな。
まぁ、まだ若いんだ。気を落とさずにまた次の……おいおい、あんたまだ動いちゃあ……おい！
やめろ、腹の傷が開いちまうぞ！

ーー

残像の検知・特定・交信ねえ……難しいし、無駄だと思う。
それに生まれる前に死んでしまった赤ん坊なんて、この世にどれだけいると思ってる？

ーー

そんなにその子に会いたいなら、自分も『そっち側』へ行ってしまえば？

ーー


ーー　　ーー　ーーーーーーー　　ーー　ーーーーー　。


戦況報告に混じって、ノイズ混じりの音声が走り続けている。どれもアビダンの知らない声だった。いつのものかもわからない。それが事実かどうかすら。わかるのは、恐らくこれらすべてが『それ』の記憶から流れ出て来たものなのだろうということだけだったが、アビダンにはそんなことはどうでもよかった。実際どうでもいいだろう。生まれる前に死んだ子どものことなんて。その子どもに会いたくて、自分勝手に死んだ女のことなんて。本当に、心底どうでもいい。アビダンは、ただ解き放たれたいと思っていた。操縦棺の中に収まったとき、常に誰かに撫でられているような、抱きすくめられているような心地のしていたその正体の見当がついて、心底うんざりして——けれどもアビダンは、すぐにハイドラを降りることはしなかった——降りられなかった。出撃後だったからか、あるいはそういったことを自分の中の建前にしているだけなのか——いずれにせよ、アビダンは今戦場を目指している。３９週目の戦場、淀みない生命の水が満ちる場所を。

しかしこんな状況下にあっても、アビダンがずっと感じていた操縦棺の居心地の良さは変わらなかった。今日に至るまでずっと——いつごろからだっただろう？　アビダンはそれを自覚していたし、今もしている。自嘲して肩を揺らし、ふとライダーを取り込んだAIの話を思い出す。そこも居心地が良かったんだろうか？　さあ。どうだっていいよ。でも何だか知らないけど、自分もずっとここに居れたらいいと思っていて……いいや、けれどもやっぱり外に出て、自分を待っているだろう人の顔が見たい。そう。見てみたいな。だからここから出なくちゃならない。それでも今は、自分でここを出ることはかなわないから——待っている。ずっと。３８週、待っていた。身をかがめて、暖かい場所で、守られながら、ずっと、そう。あと、たったの２週だった。ああ本当に、ただ自分は——産まれたくて。
産まれたくて？

瞬間、はっ、とアビダンは瞬きした。何だって？　ノイズがさざめいて、アビダンの肌を粟立たせた。
折しもその時通信が入った。見なれたシグナル。ゴートリンデン。


「アビダン、今日の戦場は厄介なのが多い。俺の方も霧がこのありさまだ…。
　とはいえ、いまさらお前に注文をつける必要もないが。
　…気をつけろ。 」

アビダンは声の方に視線をやった。確かに自分が知っている声の方に。音声のみで、そこには誰もいないとわかっているのに。
そうして薄く口を開いて何がしか言いかけたが、何も言葉は出てこない。ゴートリンデンの仏頂面が脳裏によぎる。黒い犬の残像が。料理。コンテナハウス。シャワー……、鏡がかけられていて。その鏡に映った自分の姿——
そこでアビダンは呆然とした。自分の顔が、思い出せなかった。髪を整えるために覗き込んで来た鏡の中に、常に見つけていたはずの自分の顔が。
赤子の笑い声がする。胎動めいたざわめきの中で、水の巡る音がする。

「…飯は、食ったか？
　この間は食わずに帰ったな。戦闘が終わったら食いに来い…。
　お前の腹をあてにして山ほど用意した肉料理をどうにかしろ。 」

ゴートリンデンの声が歪んだ。ノイズ。アビダンは首を横に振って、はっ、と笑った。計器を覆うガラスのカバーはどれもうっすら曇っていて、手で拭ってもすぐに元に戻ってしまう。だからアビダンは自分の顔を確かめることができない。反射的に機動速度を落として、操縦棺のハッチを開けようとした。しかし開かない。何度試みても、終いには強めに叩いてみても、どうしてもハッチは開かなかった。ノイズが笑う。アビダンも顔を歪めて笑った。柔らかな電子の波が、アビダンをシートへと押し戻す。力なくシートに体を預けながら、アビダンは再び声のする方を見た。何もない虚空を。


「…ノイズがあるな…。
　きこえているか？アビダン。 」

（誰にも怒れないの。どこにも行けないの。何もできないの）

「聞こえてるよ……」

（ただ……、ほんとうに、一目でもいい、ただ、会ってみたかった）

「この情勢だ。
　お前とこうして組むのも、そう長くはないだろう…。」

「……はは……」

（それだけ。ただ本当に、それだけだったの。そのためだけに、生きていたの）

——。

ノイズに飲み込まれるようにして、ゴートリンデンの通信が途絶えた。アビダンはぐらんと頭を下げて、肩を揺らしてくつくつと笑った。そうしてアビダンは、笑いながら、肩を揺らし、声を上げずに泣いた。悲しくも怖くもない。ただ悔しかった。腹立たしかった。同時に、ひどく馬鹿馬鹿しい気持ちだった。

赤子の笑い声がする。幻の笑い声。アビダンにはなぜかそれが自分の声のように感じられて、その事にもまた引きつり笑いをした。さざめく白いノイズか、いつものようにアビダンの頬を優しく撫でる。それは膨らんだ腹を慈しんで撫でる母親の手だった。知っている。それを膜越しに感じる確かな記憶。水の匂い。自分を守る水の中に、ただたゆたっている心地よさ。あらゆる感覚が自分のものとして捉えられた。その言い様のない心地よさに囚われながらも、それでもアビダンは涙の跡を幾筋も頰の上に残しながら、獣のように牙をむいて笑った。ぎりぎりのところで踏み止まって。自分は生きている。マルスの話のライダーのようになってたまるか。そう。こんな霊障に同調してたまるかよ。すべては現象で、記憶は記録でしかなくて、どれもこれもおれには何の関係ない。クソガキが。おれに取り憑くな。おれをそっちに引き入れるな。おれはおまえじゃない。おまえなんて、どうってことない。死んじまったやつに何ができる？　産まれることすらできなかったやつに！　おまえなんかより、今生きている人間の方が絶対に強い。確かに産まれて生きてきたおれの方が、絶対に。証明してやる。その為にはただ、生きて帰ればいい。生きて帰って、自分の力でハッチを開けて、鏡を見るんだ。アビダン。それでいいんだ。生きて帰れ。

赤子の笑い声が響いている。水音にも似た、産まれなかった子どもの幻の笑い声が。

（どくん。）