ENo.0303　insanely

METEORON SHELLの実装は間に合った。期待を上回る剛性を示し、また如何なる作用によるものか、増設した装甲は機動を妨げないばかりか、逆にいくらかの向上を齎した。メッセージの不気味さは脅しにしてはドスが利き過ぎているように思えたが、彼等のような手合いが楽しそうな時は大体うまくいっている時だ。使っていて不都合が無い分には問題無い…彼女には怒られるかもしれないが。

できる限りの準備を終えて、死刑宣告のようなミッションへの出撃を半日後に控えた彼は、気まぐれでアデライドの娘…リゼットへ、メッセージを送った。敵味方の戦力比の勘定ができれば、これが実質処刑か選別の篩であることは容易に読み取れる…彼は、その点について疑問に思わなかった。
少しばかり腕に覚えのあるライダーなど、この戦場には五万と存在する。であれば、『多少無茶な耐圧試験』にかけることを痛痒に思うようなおやさしい連中は企業連盟には存在しないことも想像が出来る。何より、彼等は嬉々としてHCSのアップデートについて全ライダー宛にメッセージを送信した。自信作の実地試験はできるだけ多くの…楽なものも、困難なものも…多様なサンプルを取りたがるだろう。少なくともカワサキはそうだった。いわば、ここは外れクジだ。そんなものにあの子が付き合う理由など、どこにも無い。
そう考えながら、彼は苦笑した。あのタフな娘の血を引く子が、そんなチキンの忠告に耳を貸すとは到底思えなかったからだった。




定刻。
案の定、ノクターンはいつもと変わらない様子で戦場にやってきた。馬鹿な子だ。適当なところで切り上げろと言っても聞きはしないだろう。世話の焼ける…そんな思いを、少しだけ楽しみに感じていることに苦笑した。これも、自由な生の楽しみ方というヤツなのか？

切札を一枚、切ることにした。
首筋にバイタル検出用のパッチを接着。リミッターをカット。
『ミストエンジンオーバードライブ、モードMadness.108,000フレーム以内に交戦を終了し、ウェイポイントへ移動して下さい。』
コンデンサ容量を示す針が瞬時に振り切れ、エンジン出力が最大値で固定される。
駆動系をオーバークロック。薬剤を嚥下。痛覚を遮断。情報処理能力を一時的に拡張。
バイザー越しの視界が澄み渡る様に、彼は懐かしさを覚えながら、無自覚に口角を吊り上げた。
楽しい。戦力の解放への期待。圧倒的な自己実現感。潰れる鉄屑の感触が存在しない爪先や拳に蘇る。
楽しみで仕方ない。鍛錬の成果、圧倒的な能力、そういったものを出力し切り敵を打倒することが楽しみで仕方ない。

結局のところ、彼はどうしようもなくワーカーホリックであった。

残像領域ではおよそ全てが霧に覆われる。濃淡の差はあれど、ハイドラ乗りたちは皆『それ』を纏って戦いに臨む。望むと望まざるとに関わらず。
時に袖の触れ合う距離すら見通せなくなり、逸れたはずの銃弾が襲い掛かり、甚だしいケースでは時の流れすら大きく食い違う。
戦場は霧という渾沌に包まれる。戦士は霧を纏う八又の怪物に包まれる。怪物は己と全く異なる姿の怪異に囲まれる。
全てが貴方に牙を剥く。そこでは人の認識は酷く脆く、疑うことと信じることは同じ価値しか持たない。それは貴方の心を守りはしても、貴方の命までもは守れない。不安の山を切り崩したところで、戦場で人が死ぬという自然現象から逃れることは誰にもできない。

では、全ては無駄なのか。それは有り得ない。
理に適い技術の粋を尽くしたパーツアセンブル、敵機を把握し所持火器に対応した装甲の備え、機影を捉え行く先を見切り未来に向けて引鉄を引く訓練は必ず貴方の戦果と生還率を高めるだろう。
それでも尚足りないのだ。漸近すれども到達することは永遠にない。その差は理や経験では埋まらない。最後のピースは必ずすり抜け、或いはつっかえる。

何が貴方を生かしてきたのか。ある者は幸運と言うだろう。ある者は歌が。ある者は業、技術、呪い…何者かに守られていると言う者さえいるだろう。同じことを謳い、今は霧のどこかに消えた者もいるのに？
彼らを分けたあやふやな何か。どこにでも収まる、しかし意識的には到達しえない何処かにある何か。あらゆる積み重ねを足がかりにただただ霧の中に伸ばした手だけが掴める何か。
それこそが霧中のパスポート、戦場への適性そのものなのだろう。

おかえり、怪異の戦士たち。でも忘れないで、今日帰ってきた貴方が明日霧のしじまに消えていかないとも限らないことを。
パスポートの有効期限は当日限り。貴方は馬車馬のように戦い、他に何の役にも立たない殺しのライセンスの更新手数料を払い続ける。望むと望まざるとに関わらず。