ENo.0044　ロウシャ・ゼイルストゥラ

　「えぇっと……弓？」
　「聞き直すなよ、面倒くせぇ。弓の練習ができるとこは無ぇかって聞いてんだ」

　不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、ロウシャは横たわったままザックを――いつも顔を合わせている担当医を睨め付けた。

　数日に一回、彼は管でつながれる。薬剤投与のための点滴だ。普段から人が見れば眉を潜めるような量の薬を飲んでいるものの、しょっちゅう腹を下したり嘔吐したりする身である。足りなくなる分はこうして補う他なかった。

　「そういうのはボクより君の方が詳しいんじゃないかと思うけど、聞いてくるってことは知らないってことでいいんだよね」

　ボクはただの内科医だからなあんまり詳しくないよ、と、ずり落ちた眼鏡を直しつつ怪訝そうな顔をしてみせる。

　「射撃訓練場……ハイドラの、じゃなくて。人間用の射撃訓練場なら、的さえ用意すればできるんじゃないかな？近くにあるかはわからないけど」
　「それくらいなら、探せばどっかにあんだろ。戦場に出るのはハイドラが主体って言っても、今は戦時中だからな。人間用の訓練施設ぐらい用意してるはずだ」
　「そうだね」

　ロウシャは動作を確かめるように右手を動かす。握っては開き、また握る。握るといっても、物を掴める程の力が籠っているわけではない。ぎこちなく、揃えた指と親指の先が軽く触れる程度のものだった。
　同様に右足を動かしてみる。膝はほぼ思い通りに動いたが、足首から先は重しのようになってまったく動かなかった。意識を集中させても、時々痙攣するように指先が震える程度にしか反応しない。
　――まるで自分の体じゃねぇみてぇだ。彼はいつも、不自由な手足をそう評していた。

　「相変わらず無茶してるようだけど……経過自体は悪くないよ。小康状態ってとこかな。検査結果を見ても、数値が大幅に変わったりはしてない。けど、もう少し安静にしてる時間を作ってもいい。負荷をかけると悪化するのは、君自身もわかってるはずでしょう」
　「……けど」
　「うん、わかってる。君が止めて止まるような人じゃないことは知ってるよ。……ただ、もう少し自分を大事にすることだ。いいね？」

　反論しようとしたのを即座に窘められて、ロウシャは頬を膨らませ――るよりも先に、体にかけられていたタオルケットを顔まで引き上げた。
　ザックが言うことが正しいことはわかっている。安静にするべきだとは知っている。

　「……俺だって」

　言い淀んだ言葉の端だけ呟いて、彼はそれっきり黙っていた。


　＊＊＊　


　翌日のこと。

　「よし」

　革のマントを羽織り、矢筒を腰に提げ、革のグローブをはめて両手を握りしめる。点滴が効果を見せたのか否か、今日はどちらの手も同じように握られている。形から入るタイプの人間ではなかった。それでも、かつて纏っていた狩人の服装は、士気を高めるに十分な効果を持っていた。

　借り受けたのは有効射程が数百mにも及ぶ小銃用の射撃訓練場だ。

　眼前というには遠い距離に据えられた的を睨む。横に倒した短弓を引く。……場に対してあまりに不釣り合いな姿だ。しかし彼の眼は真剣そのものだった。

　弦を引く手に力を籠めれば籠めるほど、その眼は金に輝いた。
　かつて、狩人の至宝とさえ云われた“鷹の目”。片側を失ってもなお、爛々と光る黄金は獲物を逃がすことはなかった。

　放たれた矢は明らかに短弓の射程を超えて、寸分違わず的の中央を射抜いた。続けざまにもう一矢、さらに追い打ちと言わんばかりにもう一矢。
　計3本放たれた矢は、いずれも中央に――後から放たれた2本は、最初の矢を追って継ぎ矢となった。

　「……こんなもんだろ」

　深く息をつくと同時に、まだ右手に持っていた次の矢を取り落した。いくら調子のいい日とはいえ、3本以上は右手が持たなかったらしい。



　かつて、ロウシャにどうして射撃をしないのかと聞いたパイロットがいた。彼は“鷹の目”と呼ばれる特殊な技能の存在を知っている人間だった。その能力があれば、どんな機体でも狙撃砲で撃ち抜けるだろうに、と。
　対してロウシャはただ一言。

　「じっとしてんの嫌いなんだよ」

　……とだけ答えた。

何らかの理由によりハイドラに縛りつけられたライダーが集まる。掃き溜めとも言う。
　
一部メンバーの素行不良により世間からの評判は芳しくない。

音楽専念。