ENo.0079　レナンティス

　――――昔話をしよう。
　此処に来る前の。別の世界をを旅していた頃より前の。
　ユベルとも出会う前の、
　レナと、オレと、……”もう一人”の、話を。


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　その人のことが、とても好きだった。
　その人の帰りを迎え、駆け寄ると抱き上げてくれるその人の香りや、子供のようなのにどこか落ち着いている話し方が好きだった。
　ずっと、その人の傍に居たかった。
　きっと死ぬまで、その人と自分は一緒なのだと、彼は漠然と信じていた。
　その人は絶対に、自分を裏切らない。
　その人の傍で、その人を信じていれば、自分は幸せな暮らしを保てるのだと確かに信じていた。
　その人が、初めて自分を傷つけたそのときまで。


「――――」
　集中して、まずは『展開』する。
　羽ばたく音が聞こえたら、次は神経の確認。それが自己の脳と繋がっていることを確かめる。動かす。羽ばたきの音が聞こえると、次はその動作を繰り返す。羽ばたく音は徐々に強くなり、あたりに風が吹いた。そして――身体が浮遊するのを感じる。ゆっくりとだが確かに、自分が浮遊しているのだとわかった。
「やったあ！」
　と、声を出してしまったのが運の尽き。
　必死で絞り出した集中力は自らの声に断ち切られてしまった。景色が急激に上昇して、身体が硬い何かに打ち付けられる。
「いだっ！？」
　背骨を強打した。折れたかと思うような鈍い音のあと、なんとか体勢を立て直して立ち上がる。どうやら骨は折れなかったようだと安心すると……
「ははははは！」
　どこからか高笑いの声が聞こえてきた。否。どこからかと言っても発生源などとうに知っている。庭の片隅を睨みつけた。そこには木製の丸いテーブルがあり、そこにそいつはいた。彼女とよく似た外見をした少年だ。彼女とお揃いの灰色の髪、紫の眼をしていて、それが少し気に入らない。とかくその人間は、格下である自分を馬鹿にするので好きになれない。
「見事な落ちっぷりだったなぁ」　双眸をこちらに向け、少年は言った。
「ほっといてよ」
落ちたことに関して少年に非はないのだが、ついむくれて邪険に扱う。しかし少年はむしろ、それを楽しむように言った。
「レナに魔術を教えてもらったからって、あまりはしゃぐなよ？」
「だからほっといてってば！」
「はいはい」
と肩を竦めて少年――ラナは黙り込む。それを確認して、再び飛ぶ練習を始めた。周囲に風を『展開』、そして神経を繋げ――
（また最初からやり直しだ）
内心でラナへ悪態をついた。と、繋がったばかりの神経が途切れたのを感じ取り、再び集中する。羽ばたくイメージで風を周囲に『固定』し、それでなおかつ揚力を集める軟性を保った。そして飛――
「二人ともー、帰ったぜー！」
ぼうとして。それをやめた。耳と尻尾をぴんと立てる。
「レナ！」
そうして、飛び出した。門まで走ればそこに少女がいた。腰まで届いた灰色の髪に、ラナと同じ紫の眼。彼女の前で止まった。
「おかえり、レナ！」
「よ。ただいま」
目鼻立ちのくっきりした顔立ちに、感情をありのまま見せる幼い笑みを浮かべてレナは出迎えに応える。上げた右手とは逆の左手には、なにかが詰まったカゴを持っていた。
「今日もおつかい？」
「うん」
頷いてレナは歩き出した。そのとなりについて歩く。
まだ小さい彼の歩調に合わせ、レナはいつも速度を緩めて歩いていた。そのたびに早く成長したいと思う。仮に成熟したとして、歩調が同じになるはずもないのだが、少なくともいまより彼女の役に立てるだろう。そんなことを考えている間に、ラナが座っている庭園に辿り着いた。レナはカゴをテーブルに置くと、そのまま備えられた椅子に腰掛ける。
「ただいま、ラナ」
レナが声を掛ければ、ラナは軽く手を振ってそれに応えた。それを終えると、彼女はなにをするでもなく、椅子に座ったままぼーっと時間を過ごし始めた。
彼女達の生活はいつもそうだ。奔放といえばそうなるのだろう。やるべきこと、やりたいことがあるときはすぐさま動くが、それ以外では不必要に活動しようとしない。レナがこうなると大抵は食事の時間までぼーっと過ごす。人間には調理以外にもしなければならない家事があるはずだが、そこはレナのことだから上手くやっているのだろうと、彼は考えている。
「あ。そうだ！」
ふと思い出したようにレナが言うと、その足下に駆け寄って、膝の上へと飛び乗った。
「なに？」
碧い眼で見上げ、尋ねる。すると、
「調子はどうだ？　教えといてオレ様も風術は下手だからアレなんだが」
「んー……良い感じだけど、まだ飛んだりするのは難しいかも」
「はは！　まぁそっか。もともと猫に魔術の機能は備わってねェもんなァ」
冗談めかしてレナは笑った。
自分の風魔術は、レナが教えてくれたものだ。
彼女は動物と話したり、自身も魔術と呼ばれる能力――彼女の場合は”重力”を得意とするようだが――を持っている。そういった者たちを、世間では『魔女』と呼ばれているとレナは言っていた。そのとき自分には『世間』という言葉の意味がわからなかったが。
とにかくレナは俗にいう『魔女』であり、動物と話すことが出来て自分の味方なのだと認識している。
「そうだ！　じゃあ今度一緒に練習しに行こうぜ？」
突然彼女が提案して、目をぱちくりさせる。
「へ？」
問い返すと、彼女は楽しげに笑った。楽しむにしろ冗談にしろ、レナはよく笑うのが特徴だった。
「おつかいの途中でさ、良い場所見つけたんだ。開けてて、ちょうど散歩したりのんびりするのにちょうど良さそうなの、それでいて人気も少ない穴場！」
自身をひょいっと持ち上げて、レナはラナへも視線を向ける。
「ラナも来いよな」
するとラナは、またも掌だけで応えた。反応したということはそれだけで同意の合図なのだろう。彼が同行することにはやや抵抗を覚えたが、自分とってはレナと出かけることが嬉しかった。
「じゃ、さっそく明日行こうぜ！」
「うん！」
当然ながら、力の限り頷いたのだった。

がらくたと、猫と、幽霊と。
特に何もしません。まったり。