ENo.0061　コルヴス・コラクス

　コルヴス・コラクスは本が好きだ。特に所謂「フィクション」に分類されるものが。
　根本的な理由は酷く後ろ向きなのだが、それでも「好き」であるのは事実であって、仕事やウォーハイドラ『コルヴス・コラクス』の整備が必要ない時は、ニゲラ会館の食堂兼談話室でのんびりと本を読むことにしていた。
　自室の方が静かじゃねーの？　とパロットは常々不思議そうな顔をするが、これはもう「生前」からの性質で、下手に静かな場所よりも、人の声が聞こえる場所の方が集中できるのだ。それが、自分の知る人間の声であるならば、尚更。
　だから、その日も普段と変わらず、談話室の片隅に置かれたソファの上で足を組んで、この前買ってきたばかりの本に視線を落としていた。
　ただ、一つだけ。普段と少しだけ違うことがあった。
「コルヴスおじ様」
　声と共に、すぐ横に誰かが腰掛ける気配。コルヴスのことを「おじ様」と呼ぶのは、コルヴスの記憶の中でもただ一人ではあったが、礼儀として本から視線を剥がして、横を見る。
　まず、目に入ったのは、コルヴスにとっては微かな胸の痛みを呼び起こす、くすんだ金色の髪。それから、こちらを真っ直ぐに見上げる紫色の瞳だ。これは、自分を殺した誰かさんと、同じ目の色――。
　つい捨て去ったはずの過去に引きずられそうになる思考は、すぐに、目の前の少女の声によって断ち切られる。
「明日か明後日はお暇かしら？」
　ルーゼンエッタ。
　柔らかそうな金色の髪に透き通った紫苑の目、どこか御伽話めいた服装と相まって、人形のような愛らしい姿をしているが、ニゲラ会館に暮らす者の例に漏れず、れっきとしたハイドラライダーだ。
　と言っても、ライダーとしての経験は浅いらしく、戦闘時はウォーハイドラ『マリア＝ローザ』のＡＩ……、元はルーゼンエッタの友人であったらしいヴェロニカのサポートを得ることで戦えている状態であるようだ。
　ただし、ルーゼンエッタの普段からの身のこなしや視線の動きなどから判断するに、彼女はきっと、生身での戦闘ならばコルヴスをゆうに圧倒するだろう。そういう訓練と調整を受けているのだ、ということは察することができる。できてしまう。
　つい、相手の能力を分析してしまうのは悪い癖だな、とコルヴスは内心で嘆息しながら、気を取り直してルーゼンエッタに微笑みかける。
「特に用事はありませんが……、どうかしましたか？」
　すると、ルーゼンエッタはどこかいたずらっぽく微笑んで言った。
「お買い物に付き合ってほしいの。結構暑くなってきたし、新しいお洋服が欲しいのよね」
　どうも、普段ルーゼンエッタの買い物に付き合っている整備士のウォルナードは、忙しくて手が離せないらしかった。
「勿論、お茶くらいは奢らせてもらうから」
　そう言ったルーゼンエッタは、上目遣いで――意識してそうしたというよりは、コルヴスの背が高いために、どうしたって上目遣いになってしまうのだろう――でコルヴスの表情を伺ってくる。
　要するに、別段深い意味もない、単なる荷物持ちだということくらいは、コルヴスでもわかる。
　それでも。何故、他の同居人でなく自分なのか、という疑問はあれど……。
「いいですよ。ボクでよければ、喜んで」
　頼られる、というのは、悪くない気分なのだ。
「本当に？　ありがとう、コルヴスおじ様」
　自分の返答にルーゼンエッタが笑みを深めるのを見れば、尚更、気分が上向くというものだ。
　買い物は明日。朝食を食べた後に出かける、ということまで話を決めたところで、ルーゼンエッタの視線がコルヴスの膝の上に載せられた本へと向けられた。
「そういえば、おじ様、さっきから何を読んでいるの？」
　コルヴスは、本を閉じる。ペーパーバックの、多少縁が擦れている表紙には、きっとパロットが目にしたら間違いなく指をさして笑うだろう、甘ったるいタイトルと、寄り添う二つの影が描かれていた。
「見ての通り、ありきたりな恋物語ですよ。『二人は末永く幸せに暮らしました』で終わるような、ね」
　ありきたりであろうと、何であろうと。作り話くらいはハッピーエンドがよい。コルヴスはそう信じてやまないのだ。
　
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【Sequel:18 乗り手たちの或る休日】

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