ENo.0316　リビー・ニエロ

　

「ありえねえ！！！」

酒場の喧騒を上回る怒鳴り声が響き、がん、と椅子を蹴り上げる音が重なった。
すわ喧嘩かと顔を上げたもの。興味もないのか煩げに目をそらすもの。
しかしハイドラ乗りなどという荒くれ者が多いこの場では日常の風景なのだろう。店内は流れるように平常の有様へ戻る。
怒鳴り声を上げた小柄な金髪男と、怒鳴られた五十がらみの男の周囲だけが、野次を飛ばし数度囃し立てた。だがしばし注目していたところ、どうも面白い喧嘩にはなりそうにないと察すると、潮が引くように興味は失われた。それぞれが己の世界——それは酒だったり会話だったり——へ、戻っていく。

しかし周囲が興味を失ったからといって、渦中の二人の緊張状態まで失われるわけはない。
痩せた金髪男はぎらぎら光る三白眼で、中年男を睨み続けている。眼差しの剣呑さに、酔っ払って気分良く口を動かしていた中年男は生唾を飲む。酒焼けで赤い顔が傍目にも青くなっていた。
金髪男の青い目は本気の憤怒を伝えてくる。
中年男は、この辺りではそこそこの情報通として通っていた。この金髪男から声をかけられ『聞きたいことがある』と言われた時だって、チップ次第だな、と軽口を叩く余裕もあった。金髪男が払った金額はそれなりに高額で、今日はいい酒が飲めるとほくそ笑んだ。
しかし今や全身が冷や汗で濡れていた。
殺されるのかもしれない、と、根拠なく思った。
それほど、燃え盛る青い目は恐ろしかった。
尋ねられたから、答えていただけなのに。なんという災難だろう。

「リビー……」
「黙ってろリオ！！」

傍に静かに立っていた不思議な髪色をした青年が、遠慮がちに金髪男を制するが、リビーと呼ばれた金髪男は、がん、ともう一度椅子を蹴りつけ、不遜な叫びを返しただけだった。苛立たしげに金髪を引っ掻き回す。その間も鋭い目は中年男から逸らされない。青白い火が燃えている。地獄から来る青白い馬が吐くという死の吐息のようだ。
椅子を蹴る度、店員が胡乱な目でこちらを見るが、割って入る気配はない。つまり中年男に助けはなさそうだ。リビーという金髪男はハイドラ乗りだと名乗った。ある意味特権階級である彼らの怒りをわざわざ買う馬鹿はいない。もしも椅子が壊れたなら、弁償請求をすればいいだけだ。彼らは高給取りなのだから。

焼け付くような青い瞳が、小柄な全身が、怒気で満ちている。ゆらゆらと陽炎が立つかのようだ。
その熱に浮かされたのか。混乱した中年男は譫言のように、この騒動のきっかけの言葉を、もう一度、繰り返してしまった。「だめだ、あなたは黙っ……！」と、不思議な髪色の青年の切羽詰まった声がしたが、間に合わなかった。

「だ、だってよ、あんたが言うようなハイドラ乗りなら、噂にならねえはずがねえ。なのに、髪の毛一本、影法師一つ、聞いたことねえんだ、もう、とっくに、墜ちて」
「あァあああ！？　もういっぺん言ってみやがれ！！　その喉！！　握り潰して欲しいのか！？」

金髪男が獣のように飛びかかってきて、襟首を掴まれ、締め上げられる。小柄な体つきからは想像もできない力で、掴み上げるように持ち上げられ、足のつま先が床から浮きそうになる。息が詰まる。苦しい。もがいても緩まない、硬い拳。

「リビー！！　もう行こう！！！」

リオ、と呼ばれていた青年が金髪男に飛びつき、羽交い締めにして、中年男から引き剥がした。その時、

「俺が墜ちてねえんだぞ！？　なのに、あの人が墜ちるわけねえだろうが！！！」

怒りと憎しみに彩られた叫びは、燃える青い目は、恐怖を呼ぶ。
なのに、どこか泣いているようだった。




＊＊＊＊＊


「……嫌な夢だ」

リビーは重い瞼を上げて、ガレージの天井を見上げた。
夢と言っても内容は事実だ。いつだったか、リオと一緒に『あの人』に関する情報を求め酒場を巡っていた時、実際に起こったこと。
あの後、這々の体で逃げていった中年男を追おうとするリビーをリオが離さず——彼は己の体重の使い方をよく知っている。流石のリビーも全力で抵抗する彼を引きずって走ることはできない——、しばし揉み合っているうちに頭が冷えた。
店には椅子の弁償費用と迷惑料を弾んでおいたが、今後あの店で聞き込みをするのは難しいだろう。馬鹿な騒ぎを起こしたと今なら思う。

（『俺が墜ちてねえんだぞ！？　なのに、あの人が墜ちるわけねえだろうが！！！』）

自分があのとき叫んだ言葉が重く伸し掛かる。
大儀そうに起き上がると、安いマットレスがぎしりと軋んだ。
上掛けが体から滑り落ちる途中、何度か包帯に引っかかって撓む。
肩から脇腹を被うものと、左太腿のものは幅広で、それ以外にもあちこちに小さめの外傷用パッドが貼り付けてある。煩わしいが、あと数日は剥がすわけには行かない。

リビーは、一昨々日、撃墜された。
初日はリオに担ぎ込まれた病院で目を覚ました。すぐに退院しようとして、リオに止められた。
二日目も目を覚ましてすぐ退院しようとして、リオに止められた。
三日目、目を覚ましてすぐ退院した。リオに止められたが、今度は譲らなかった。
むくれながらも付き添ってくれたリオと共にガレージへ戻り、黒金乱眼の修理とデータの整理更新を可能な範囲で行った。はらはらした顔で付いて回るリオを漸う説得して自分のガレージへ返し、どうにか次の出撃予定に目処をつけたところで、そのまま倒れこむようにして眠り、——夢を見た。



（『俺が墜ちてねえんだぞ！？　なのに、あの人が墜ちるわけねえだろうが！！！』）



閃光。轟音。
リビーは墜ちた。
黒金乱眼は墜ちた。

では、あの人は？
銀の尾をひき天を翔る、あの機体は？


「……俺が墜ちても、あの人が墜ちるわけがない」





（そうだ）

（たとえ自分ごときが墜ちても、あの人が墜ちるわけがない）

（それに、俺はもとからここに居たんだ）


（俺はずっとここに居たんだ）



（修羅でも鬼でも構わない）


　

　
リビーが『黒金乱眼』を置いている格納ガレージ。
薄暗いガレージの隅には古いマットレスと毛布、多少の荷物が無造作に転がっており、ここで寝起きしているようだ。
　
　
ガレージの中央に鎮座するのは『黒金乱眼』。
機体が置いてある部分はきちんと照明や整備機器、および簡易のテーブルと椅子があるが、それ以外はがらんとしていて薄暗い。
　
　
　
【ユニオン基本】
・格闘上げ＋ロールプレイ舞台。
　情景描写のお供にどうぞ。
　
・参加希望の場合はENo.316までメッセージをいただければ次回更新時に随時許可宣言予定。
　（メッセージ内の最後に【希望】と入れてくださると分かりやすくて助かります）
　未参加のまま、情景を利用したメッセージのみのやりとりも可。
　
【ユニオン活動】
・格闘
　
【ユニオン購入】
・機動力+3%
・経験値+1