ENo.0066　全くダメなウォーハイドラ乗りの男

《――この棺桶に乗せた一つの夢は、ここで終わる》
《生死を問わず。存在の真贋を問わず。世界の存続を問わず》
《一つの時代の区切りが起きている今、古いものは棄てられる。拾われることは、余程ではない限りありもしないだろう》　

《以上、私からの報告だ》

　
　“残像領域”の片隅にある寂れた酒場。
　飲んだくれが壁にシミを作りながら寝込んでいる。
　あるいは店名の通り、掲げられたダーツボードに投じ続ける客もいる。
　あるいは三文にも満たない噂を流す客がいる。

　別にどうということのない、単なるクソッタレどもの休憩場だ。
　その気になれば誰かを歓迎するし、誰にも干渉しない空気が流れている。
　時たましゃがれ声や、低くうなだれたような声の雑談が聴こえる。






　――曰く、棺桶（ハイドラ）に乗った男の死骸の近くに“男は寝ていた”。
　偶然にも搭乗者と“男”の服装は死骸と同じであった。その死骸は顔を潰されて四肢も割かれていたものの、研究者に渡した細胞は一致する。双子でもない。
　無論、《複製者（クローン）》という線もなきにしもあらずであったが、棺桶乗りである以上は痕跡や企業登録されたデータがあるはずだ。しかしそれらしきに値するデータは四方八方を漁っても出ない。別にそんなことを態々調べずとも放置しておけば良かったが、情報屋の勘が告げていたのだ。

　この世界には、複製データを延々と出力するだけではない《残像》足りうる存在がいるのでは。

　いつか片手間に考えていた取り留めのない思考である。
　男はさも生きている人間のように話すし、酒も呑む。以前の記憶はないが、棺桶の操縦の仕方は大体覚えている。
　こっそりと採った血から再度調べてみれば、霧にも似た何らかの成分濃度が高い。白血球などの細胞成分は従来の人間と変わりない。それだけが異質だった。

　寒気が増して往来で人が益々容易に死んでいたのを見かけ、また情報屋は見た。あの『薬を融通しろ』という客から貰ったという高級なボトルを抱えて死んでいた男は、“男”だった。
　平然と隣で写真を見ていた。その時の記憶は喪失している。だが死体から取ったサンプルは合致する上に、生きている。何事もなかったかのように、いつもの席に居た。
　当然情報屋は追求するべき言葉が喉を出かけていた。しかし確信があっても記憶のない本人に訊ねたところで『意味不明だ』と罵倒が飛んでくるだけだ。然り、“男”は生きているのだから。

　“これ”は死ねないのである。死なないのである。《残像》が居残り続けるケースは稀ではない。大抵は霧に紛れて神出鬼没に活動しているが。
　『だからどうした』と異を唱える思考があったが、情報屋は面白がらずにいられまいかと一蹴する。酒場の店員曰く、ずっとここに通っていた。ならば彼は生前の習性も踏まえた上でここにいる。死んだ事実は自他ともに知らずに。

　不死性とはこの世界に腐るほどありふれた現象。
　その性質は永遠に変化している。
　螺旋状になだらかに続いている。

　ある時は科学技術により、ある時は霊的現象により、ある時は――。
　これの全てはどこに基づいているのか？　人の《欲望》や《渇望》に類するものという所見なら一つの答えだろう。
　そしてありふれていて多種多様であっても、とりわけ《残像》に関してはそうお目にかかれるものではない。一定の条件を除けば“本人そのものである”という点では。

　この男から得たものは――実際は何もなかった。情報屋は、そう結論づけた。

　たまたま端役である“男”が、たまたま変な《残像》になっただけ。
　神に親しくもなく、棺桶乗りとして素晴らしいものでもなく、人として優れたものでもない。
　それこそ霧濃度のように気まぐれに生み出されただけの、“人間だった”。利益を求めていたのではないが、期待するような出来事は起きなかった。

　今までは管理・制御していたが、これからは違う。
　霧の晴れた世界において、もっと興味深い事柄が増えていくだろう。こんなに晴れた空を見たのは、写真の中でしか無い。
　情報屋はもう十分だと思った。見切りをつける頃合いだと。こんな惰性の塊じみた男には、用はない。もっと研究対象は居るはずだ。
　
『お前はいつまでここでのンでるンだ？』。
『そうだな、そろそろ新しい情報（しょうばい）のネタでも仕入れてくるかとは思ってる』。
『……戻ってこないのか？』。
『いや、それはない。ここも重要なネタの仕入れどころだからな。例え三文相当だろうとよ』。
　
　情報屋は神ではないので、この先男がどうなろうと男次第。
　一度空けた席は、数日の間埋まることがなかった。