ENo.0030　ガブリエラ・ストークス

「私はここにいる」

　ふと声が聞こえた。自分の声だ。
　目を開けているのか閉じているのかも曖昧になるほどの暗闇で、光一つない。
　ここはウォーハイドラの、操縦棺のなかだ。
　眠っていたのか。いつからそうしていたのだろうか？
　その疑問がきっかけとなって、私は気づく。

　私には記憶がなかった。
　思い出せるのは名前――
　私が『ガブリエラ・ストークス』であること。
　私がハイドラライダーであること。

　その二つきりだった。自分の顔も、姿も思い出せない。この暗闇のなかでは、手のひらを見つめることすらできない。このまま闇の中にいれば、そのまま消えてしまうかもしれない、という不安さえあった。

「私は、ここにいる」

　言葉を繰り返す。これが私の声だった。女の声のように聞こえた。私は女性なのだろうか？　次は触れて自分の身体を確かめようと思った。性別について、記憶らしい記憶を持っていないからだ。

　その矢先、ファンが回るような音と共に、操縦棺内のランプが点々とついた。目の前のモニターにBIOSの文字が流れる。そして照明がついた。長らく暗闇にいた私にとってそれはまばゆく、思わず目を細めた。瞬きを繰り返して目を明るさに順応させてから、私は改めて自分の身体を見た――見ようとした。

　そこには、私の身体はなかった。手も足も、胴体もなかった。

　私は驚いて自らの身体を触れようとしても、触るものはない。確かに手を動かしている感覚はあるのに、その手も身体もなかった。当然ながら顔にも触れられない。首を傾ければ視点が傾くし、こうして見えているのなら目が、聞こえているのなら耳があるはずなのに、それに干渉することはできなかった。

「私は幽霊なのだろうか？　人間ではないのだろうか？」

　声に出して、自分に問う。

「いや、違う」

　自らへ問いを向けると、私は人間であることを思いだした。普段人間は生きていて、自分が人間であることを疑うことはそうない。哲学的な思索でない限りは、そうしたことに、心から疑問に思うことはないだろう。そのアイデンティティが危ぶまれたときだ。そうして初めて、自分が人間であることを確かめる。疑問の小石を投じると、記憶の湖（容積が誇張されている）は、波を立てて、それに答えた。

「私は人間だ」

　目の前のモニターの画面が切り替わる。BIOSからログイン画面になると、自動認証が立ち上がる。私が触れるまでもなく認証は通った。システムもまた私を、

　　　Entry Number : 30
　　　Rider Name : Gabriela Stokes

と認めた。

　私の名前はガブリエラ・ストークス。ハイドラライダー。エントリーナンバーは30。

　私は、ここにいる。