ENo.0049　ソネル

「わからねぇよ」
ソネルは本名だが、姓はもたない。
だから聞かれた時そう答えた。

それは、自分を表す情報が一つ少ないということだ。
所属する家族ないし血縁集団の情報。あるいは識別のための。

しかし、だからといって姓が何だというんだ？
ガブリエラ・ストークスが姓名をそう名乗ったからと言って、わかることなど殆どない。

禁忌戦争の頃にほぼ同じ名前のハイドラライダーが二名いたという記録はある。
片方は全く同じ名前だがKIA。
もう片方はミドルネームを持っており、あの戦争を生存したらしい。
……という情報を知らせても本人はわからないまま。
前者の死亡に絡んでか、生体を利用したパーツとして同名のエンジンが売り出されていたなどという与太話もあったものの、霧の中では定かならぬことだ。

ハイドラライダーの情報は、名前と戦果がせいぜい。
マスコットネームという可能性のほうが高いだろう。
ソネルは特に理由もなかったから本名だが、そういう人間は少なくない。

人間。

よぎる単語に両目を細めてみても、眼前の棺に変わった所はない。
自分が乗り込んでいるハイドラのものと同じだ。
というより、この棺もまたソネルのもののはずだったのだから、同じもなにもないのだが……。

「ライセンスがある限り、企業も、俺たちも、異議はない。俺に姓があろうがなかろうが、そんなこと誰も気にする必要が　　ねぇようにな。お前が『使える』なら俺だってそれに越したことはねぇんだ。それは明日出撃すりゃわかる」
≪それが、私のことをわかる助けに、なる？≫

閉じた棺の中から声がする。
その疑問に答える台詞が浮かばなくて、探すようにしてソネルが外からハッチを開いた。

――あるいは、記録にあるガブリエラ・ストークスだと考えるのが本来は妥当だ。
禁忌戦争のことは思い当たるようだったから、
一人目のストークスの死亡が誤情報の事故だったか、二人目のストークスに戦後なにかあったか。
性別も年齢も顔も照合できない情報だとしても、わかったということにしていいはずだ。

　　　　　　　・・・・・・・・・・・・・・
ソネルだって、どちら側の情報も照合できないのでなければそう片付けた。
お前はかつてそういうことをしていて、しかし今のお前はこうなのだと。

・・
こう？
何だというんだ？

開け放たれた棺は空で、そこに納められるべき者を探しているかのようだ。
内部のパネルだけが表示を変え、チカチカと闇を照らす。
ノイズと共にスピーカーから声がした。

≪私が一体何なのかということが、戦場の霧の中で露わになる？≫

問いを重ねられる間にも、ソネルの眼に映るのは見慣れた標準的なシートだけだ。支給された交換用のパーツが突然勝手に起動しはじめなければ、自分がそこに座っていただろう……。

だが今そこには誰も座っていない。

ハイドラライダーの戦場には、残像のように現れた死者と出遭ったという者もいる。ソネルはそういうものを信じてはいなかった。だが少なくとも、急遽組み上げられたウォーハイドラはソネルが操作することなく動作確認を完了したし、聞こえてくる声が名乗る『ガブリエラ・ストークス』はライダーネットワーク上でライセンスの認証を通過している。

「……そうかもしれねーし、そうじゃねーかもしれねぇ。だから、わからねぇよ。俺にはお前が見えない。
　何も、わからない」。

ガブリエラ・ストークスのことは、ソネルには何もわからない。
性別も年齢も顔も、背丈も体格も、一体何なのかということも。

≪ええ、でも……私は、ここにいる≫

頷きもせず、かといって頷かぬこともできず、その言葉を聞いたことを後悔したかのようにソネルはわずか顔を歪めて揺すった。嘆息と共に離した手のひらが上下に振れる。
ジェスチャーに応え、棺が閉じられた。

鋼鉄の箱。

それはガブリエラ・ストークスという死者を納めるための棺か。
あるいは何もわからない赤子を抱き守っている子宮なのか。

鉄の骨が行き交う格納庫に背を向けながら、余計なことを考えているな、とソネルは自覚した。見えようが見えまいが、少なくとも眼の前でWHが動いているというのなら、せいぜい良い働きをしてくれることを期待すればいいだけのはずだ。本来は自分の予備パーツだった支給品がかなりとられているのだ。その分ぐらいは戦場で活躍し、自分の利になってもらいたい。それ以上のことは何も必要ない。

だが、あれはそれだけで済まそうとはしないのだろう。

嘆息する。このところそればかりしている。当然と言えば当然。やっかいな状況に追い込まれている。わからないことばかりだ。
ああ、そうだ。
ガブリエラ・ストークスでなくたって、誰だって、

「わかんねーことばっかだな……」


性別も年齢も顔も背丈も体格もわからないそいつが今日から俺の相方になる。
　　　　　 ｲﾉﾁ
明日、霧に生死烟る戦場へ出る。

だから互いに間違いなくわかることは一つ。


アイツはハイドラライダーで、
俺もハイドラライダーだということだ。