ENo.0117　ワジオン・ブラン

　
「無茶してんじゃねえ！！」

リビーの叫びがガレージに響き渡った。
顔色は真っ青で、きりきりとつり上がった目尻だけが、怒りに彩られてかわずかに赤い。歯軋りの音がする。

ほぼ撃墜状態となって帰還した『雪華雪香』から降りたユージンを、ものすごい勢いでシャワールームに叩き込み、全身を洗浄させてから、簡易服に着替えさせ、有無を言わさず怪我の状態を確認しているところだった。

リビーの動きは手荒く、背の高いユージンに掴みかかっているかのようでありながら、よくよく見ればその手つきは酷く繊細だ。

「大丈夫ですよ、打ち身だけです。あとは、領域の急速離脱を繰り返したことによる疲労感くらいで……」

両手を軽く上げてリビーの好きなようにさせながら、ユージンが困った顔で笑った。

「煩え！！！！」

少し離れたところで様子を窺っていたリオとモンテズマの肩が同時に跳ねた。リビーの声はそれくらい激しかった。
ユージンの言うとおり、彼の怪我はどれも軽かった。それでもリビーの顔は険しいままだ。

「すみません。敵の戦闘力と、新規に積んだ装備の挙動を、少し甘く見積もりましたね」
「だから！　俺が出るって言っただろう！！　ハイドラの手配はなんとでもなる、あんたは後方で、あんたが……」

「『万全な貴方と黒金乱眼』であればそれも一つの案ですが……、今、我々の出せる最大戦力は『私と雪華を、貴方がサポートする』１機、『モンテズマ君とバーントイエローを、リオ君がサポートする』１機、合計２機だと、散々話したでしょう？」

「そんなことは、関係ねえんだよ！！」

だんっと床を踏み鳴らしたリビーの動きに、ユージンが眉をひそめる。

「リビー、足を痛めてはいけない」
「何回折れたって知ったことか！！　実際！　俺のオペレートで！！　あんたと雪華雪香は撃墜されてる！！　あんたと、雪華雪香だぞ！？　……俺が、俺がクソみてえな援護しかできなかったせいだ！！」

ユージンに詰め寄るリビーを見かねたのか、モンテズマが割って入った。

「いいえ、リビーさん。私は自ら盾役を立候補したのに果たせなかった。結果、雪華雪香も撃墜されてしまった。私の援護不足です。申し訳ありません」

緑の瞳に厳しい光を湛えて詫びるモンテズマを、リビーは責めはしなかった。モンテズマが最善を尽くしていたこと、にもかかわらず敵から立て続けに捕捉されて一気に機体損傷率が跳ね上がったことは、分かっているからだ。分かっているが、言葉を返す余裕もないのか、リビーは黙って首を振った。
モンテズマは続いてユージンを振り返り、

「すみません、艦長。私のデータ不足です。正直なところ５年前とは桁が違います。しばらくきつい戦いになるかと」
「作戦行動は最終的に私が判断したことですから謝る必要はありません。それに、敵の情報も《残像領域》での経験も、５年前のものと今のものを付き合わせることに意味がある」
「……ありがとうございます」

鷹揚に返すユージンの服の端を掴んでいたリビーの手が、ぱたりと落ちた。そのまま、ぎっ、と握り締められた拳が震えている。どれほどの力が込められているのか。

「リビー」

リオがそっと側に来た。

「おれも予想できなかった。この5年の変化を、この場にいる誰もが把握しきれていなかった。リビー、誰も悪くない。艦長も、あなたも」

柔らかな声で諭す。
しかしそれでも耐えられなかったのか、リビーはがばりと顔を上げた。
ただでさえ悪い人相が、目つきが、さらに吊りあがり、恐ろしいほどの怒気が、どこか悲哀を漂わせる。

「とにかく！！　あんたは部屋にこもって安静にしてろ！！　飯は運ぶ！！　雪華雪香の整備も全部俺がやる！！！」

それだけ言い放つと、肩を怒らせたリビーはくるりと三人に背を向けた。
がつがつと足音も高く——しかし、微かに左足を引き摺りながら自室に向かって歩き出すリビーを、リオが慌てて追いかけた。



ーーーーーーーー

「……今後の観測作戦のための予備偵察行動だったというのに、失敗したな……」

想定より敵が強い。
それも、かなり。

《機動維持困難……ッ、離脱だユージン！！　頼む、早く！！！》

リビーの悲鳴のような叫び声を思い出しながら、ユージンはひとりごち、目を半眼に伏せた。

「リビーさん、いつも以上に不安定ですね……」

ユージンの側に残ったモンテズマが、へにょりと眉尻を下げた。心なしか、いつもは艶やかに跳ね回っている緑色の髪さえ萎れているように見える。
リビーとリオが去った方向をじっと視線を据えていたユージンが、気持ちを切り替えるように一度深く呼吸をしてから、肩を竦めた。
かたわらのパイプ椅子に腰を下ろし、モンテズマにも向かいの椅子をちらりと目で合図する。向かい合って座った長身の男二人の眼差しには、よく似た思案の色が浮かんでいた。

「ええ。リビーは、私が自分で言うのもおかしいけれど『私の世話をすること』に大層な喜びを感じているので、取り上げてしまうと酷く悲しむし……。何より貴方の言う通り、今は『私のそばに居られる喜び』と『自分が戦えない現状に対するストレス』『私たちの負傷を懸念してのストレス』などで、とにかく不安定です。あまり、さらなる負荷はかけたくない……のですが、失敗しました」

怒りのあまり青く燃え盛っていたリビーの瞳。その奥に潜む恐怖と絶望の濃さを知っているからこそ、それらが破滅的な恐慌となって溢れ出る事態はなんとしても避けたい。ユージンの意見にモンテズマも深く頷いた。

「……そうですね。しかし、あの方の精神状態に関してはこちらからの『緩和』の効きが鈍いように思います。現状を維持しつつ、改善の方向からは外れないようにしていくべきでしょう。艦長も、あまりご無理はなさらずに」

アンドロイド体とは思えないほど柔らかで微妙な表情をも会得している顔が、心配そうに翳る。モンテズマの気遣いに軽く応えたユージンが、ふと、困ったように苦く、それでいてどこか悪戯っぽく、笑みを浮かべた。

「貴方やリオ君がいるので、そこまで心配はしていませんが……私がいくぶん羽目を外してしまったせいで、初手からリビーを緊張させましたからねえ。『ブラン』の姓を名乗らせたのは、少々、この状況に甘えすぎだったかもしれない」

ワジオン・ブラン。
レルグス・ブラン。
この《残像領域》でユージンとリビーが名乗っている偽名だ。
この『ブラン』姓を決めた時の、リビーのぎょっとした顔と、言うに言えないものを噛み締めたリオの顔。それらを恐る恐るきょろきょろと窺っていたモンテズマの顔は、ユージンにとって忘れられないものだった。

「艦長、こっちにきてからめちゃくちゃ羽伸ばしてますもんねえ。リビーさんの姓については、リオもすっっっっごく……」

ユージンにとって、リビーは、そしてリオとモンテズマは、特別だ。
そして現在、発生しているのは、事故に巻き込まれた結果とはいえ『特別なものたちだけに囲まれた状況』。——これを、怪我の功名と言わずしてなんという。

すい、と白い前髪をかきあげ、ユージンが真剣な表情で目を細める。リビーの性質を知っていながら軽々に事を運んだ事を、少し後悔していた。——しかし次の瞬間、開かれた黒い瞳に滲むのは気遣いと親愛と、勢い付いた、なにか、こう、溢れかえった親馬鹿的な心情だった。

「でも！　あれと堂々と同じ姓を名乗れるなんて！　早々得られる機会ではありませんからね！？」

ユージンがいきなりぐいっとモンテズマの方に身を乗り出し、先ほどまでのしんみりとした調子を吹き飛ばす勢いで詰め寄ってきたものだから、モンテズマは思わず仰け反った。

「そ、そうですね、千載一遇の機会だとは思いますよええ、ほんと！！」

　

ワジオンが『雪華雪香』を格納しているガレージ。
白髪で背の高い男と金髪で小柄な男が、何やら話し合いながら機体の調整をしているようだ。

僚機『バーントイエロー』とガレージを共有しており、それぞれの領域を簡単にパーテーションで区切って使用している。
そのため、僚機のパイロットであるアンドロイドの青年とオペレーターであるサイボーグの青年の姿も垣間見える。　

広めで明るく機能的な設え。それぞれの居住区画もある。