ENo.0203　ネリー・アイシャム

ネリー・アイシャムは、数年前までヘッドハンティングを仕事にしていた――二重の意味で。

ヘッドハンティング。
すなわち、優秀な技術者であったり特殊な知識を持っていたりする人材などを、別の企業へと引き抜くのだ。
企業内の内情や独占したい技術の流出には、もちろん厳しい監視体制や防衛措置が敷かれている。
記憶洗浄を受けなければ敷地から出ることを許さない、という企業すらあるのだ。
そこから人ひとりを連れ出す、しかも、残像領域の企業は私設の軍隊を持っていることも珍しくないのだから、その過程で戦闘が発生することは容易に想像できるだろう。

そこで、武力を揃えた専用の引き抜きチームが必要になる。
引き抜かれる本人や企業からの依頼を受けてチームを用意する非合法の組織があり、ネリーはそれに狙撃手として所属していた。
対象の護衛や追っ手を狙撃して無力化するのが主な役割で、これがヘッドハンティングの二つ目の意味だ。

ネリーの射撃は正確だった。
数メートル先すら見えない深い霧の中でも、レーダー類が機能しないほどの電磁波の嵐の中でも、まるで関係なく的を撃ち抜いた。
彼女は撃つべき相手を、音の反響によって視ていたのだ。生体改造によって得た優れた聴力がそれを可能とした。
歌が聴こえる度に、ひとりまたひとりと撃ち倒されてゆく……相対した相手は恐怖を込めて彼女をセイレーン＜魔女＞と呼んだ。

けれど、禁忌戦争が終結し、この世界から霧が消えると、魔女の噂もすっかり消えてしまった。

***

ネリー・アイシャムは、安いコフィンホテルのベッドに腰かけてニュース映像をぼんやり眺めていた。
辺境のなんとか言う国の若い女指導者のスキャンダルをやっていて、
過去に水着グラビアを撮ったりポルノに出演していたという疑惑が槍玉にあがっているのだが、
逆に国民の支持率が過去最高に伸びているらしいとキャスターが喋っていてネリーは思わず吹き出してしまった。

「君はそれで聴こえているのかい？」

ベッドに寝転がっていた男が、ネリーに不思議そうにたずねる。

「まあね。私、耳がいいのよ」

ウォーハイドラのメカニックをしていると言うこの男とは、昨日知り合ったばかりだ。
名前は聞いた気がするが、忘れてしまった。

「へえ、すごいね。俺にはなにも聴こえないくらいなのに」

男がネリーの腰に手を回そうとするが、ネリーは不意に立ち上がる。
ニュースが遺跡の話題に切り替わっていた。

探索中に行方不明になったライダーの数や、途中で引き返して生還したライダーの証言から、遺跡探索を続けることを危険視する内容だった。

「怖いな。セクション５にたどり着いたやつはいならしいね」

ネリーが見ていたのはニュースそのものではなかった。画面の右上に表示している数字だ。
以前はどこのチャンネルにも書いてあって、最近はすっかり見なくなった予報。

来週の霧濃度、９０％。

「……私、行かなきゃ」

「え、まだいいだろ？どこへ行くって言うんだい」

身支度をしながら、ネリーは画面を指差す。

「遺跡に？」

驚く男に、ネリーは首を振る。

「霧の中へ、よ」