ENo.0348　シシリー・M・W

「くそったれ！　見つけたらブチ殺して培養屋に売り渡してやるあの腐れインポ野郎！」

　シシリー・M・W、通称シリーマウスは、女性が口にするには多少汚い言葉を叫び、自分のハイドラに蹴りを入れた。
　彼女のブーツは金属で強化されているので、それで足が痛むような間抜けはしない。
　18歳の女でありながらハイドラライダーとしてそれなりの稼ぎがあったシシリーは、本人が身に着ける装備も充実させている。
　だが今となっては、その強化ブーツは貴重な財産だ。

「あー、くそ、くそ……あたしとしたことが間抜けだった」

　止まらぬ悪態を吐き散らしながら、今度は頭に手を突っ込んでかきむしる。
　一房だけ赤く染められた前髪が、動物の尻尾のように揺れた。

「全部かっぱらわれるなんて……ラットフットじゃなくあたしを裸に剥かれた方がマシよ」

　ラットフット――彼女が自分のハイドラにつけていた名前だ。
　幸運をもたらすラビットフットではなく、不吉と死をもたらすネズミの足。
　バカみたいに跳び回り手当たり次第に敵を食い荒らすキチガイネズミ。
　それがラットフットとシリーマウスだ。

　しかし、うんざりした目でシシリーが見上げたラットフットは無残な姿をしていた。
　ネズミにたとえれば全身の毛がないハダカデバネズミ、いやそれよりも情けない。
　接続パーツもエンジンも、操縦棺や脚に至るまで失ったラットフットは、もう基礎骨格しか残っていない。
　メンテ屋に頼んだらすっかり盗まれトンズラされたのだ。猫の毛一本残さずに。

「あああああああのカマ掘りクソデコォ！」

　多くのハイドラライダーがそうするように、普段のメンテナンスはシシリー自身が行っていた。
　だが近々大規模な争いが起きるという噂に、たまには専門家にオーバーホールしてもらうか、と考えたのが失敗だった。
　メンテ屋の裏は取ったつもりだったが、人の存在の重みがペラ紙一枚程度なこの残像領域では表も裏も大した意味はなく、姿を消そうと思えば消えられるのだった。

「チッ……キレててもどうしようもないか」

　シシリーに残されたのは、彼女の身を包むライダースーツと幾許かの現金に食い物、名前。
　そして、たとえ骨だけになっていても、ハイドラが一番の財産であることには違いがない。
　生きるにせよ稼ぐにせよ――彼女が宿した荒れ狂う闘争心を満たすにせよ、ラットフットを使うのが一番いい。
　何はともあれここから動かすためのエンジンと脚と操縦棺がいる。
　それに捨て値で売っているものでいいから一通りのパーツを揃えて、そっから先は、そっから先だ。
　装備拡充も、装備に合わせた操縦感覚の習得もイチからやり直しだが、彼女の瞳の色にくすみはない。

「さっきは蹴ってごめんね、ラットフット。またこれから頼むわ」

　乗機を優しく撫でながら、シリーマウスは獰猛に笑った。
　飢えたネズミほど、沢山獲物を喰える。