ENo.0066　全くダメなウォーハイドラ乗りの男

『…………』
『……………………』
『……何言おうとしたか忘れた』。

　
　“残像領域”の片隅にある寂れた酒場。
　飲んだくれが壁にシミを作りながら寝込んでいる。
　あるいは店名の通り、掲げられたダーツボードに投じ続ける客もいる。
　あるいは三文にも満たない噂を流す客がいる。

　別にどうということのない、単なるクソッタレどもの休憩場だ。
　その気になれば誰かを歓迎するし、誰にも干渉しない空気が流れている。
　時たましゃがれ声や、低くうなだれたような声の雑談が聴こえる。

『ドクにでもかかったほうがいいんじゃないか』。

　酒飲みの横顔は、いつにも増してやつれていた。
　もともと顔色も悪く、貧乏性や性根の悪さがにじみ出ていたような様相だ。これほどにも色が濃くなると、もはや死神にでも憑かれたかと隣の男は冷静に見つめていた。
　頬杖をついたまま、ぎょろりとやつれ男の眼球が動いて視線だけが向く。

『世紀末らしいぜ、今』。
『――――あんな《ログ》を信じてるのか？』。
『べっっっつに。俺は誰も信仰していないし、どこに行くかは風の吹くまーま』。

　ノラの懺悔じみた遺言だけが、棺桶（ハイドラ）乗りの男の頭に残っていた。
　混線するように大量のログが毎日届く。企業やメフィルクライアの脅しに始まり、宗教の勧誘、研究者の幇助。選り取りみどりのミッション。
　そのどれを選んでも、最終的に行き着くのは『ドゥルガー』なる神であると予感していた。その先がわからなくとも、“大いなる面倒”が自分たちに襲い掛かってこようとしている。

『今でさえ面倒なのになア』。
『……あー。そうだな、死ぬかもしれないから言っておくか』。
『は？　きもちわり。俺死なねえよ』。
『ああ……そうだな。やっぱりやめておくわ』。
『はア』。

　静かに杯を交わしていた。
　終末に向かっているという話は、密かにこの酒場内にも広がっている。
　しかし、だからこそ一層飲むべきだと囃し立てる客たち。こいつらは節穴だと店員の一人がぼやけば、大柄の店員は黙っている。

『なア旦那、アンタの時はどうだった？』。

　問いかける白髪の死神に、睨めつける白眼の鬼。

『……そうかい』。

　言葉はない。
　といって、よくある“語らずともわかる”ような不思議なことは起きない。
　なので、男は勝手に納得した。