ENo.0104　ウルフィング・スモーク

　ハイドラライダー、ネリー・アイシャムは《遺跡》近くの廃ビルの近くに居た。
　特に用事があったわけではない。休暇中の散歩がてら、ちょっとした噂の真偽を確かめようという好奇心からだった。不用心な休暇の使い方だが、多少の荒事ならどうにかなる自信もあった。

「ここが例の撮影スタジオの――なんだか寂れてるわね。どうしよ、中に入ってもいいのかな……？」

*
　よお、オレだ。アルメロだ。
　前回までのあらすじ――成り行きで行動を共にする事になった『風森サキ』『f/f/f』の二人の女と共に廃ビルを占拠し、ユニオンを結成を宣言したオレだったが、ブックメーカーの失敗によりユニオンは一夜にして巨額の負債を抱え、オレたちは夜逃げを余儀なくされることになった。
　コロッセオ・レギュレータ社に業務委託された篠崎生研の取り立てロボたちが押し寄せて来る前に、この拠点を引き払わなければならない。
　とはいえ、今となっては持っていくべき荷物の大方は表の車両に積み終えており、俺の他のふたりはもう発進の準備を整えて車で待っていた。

「これで全部だよな」
　衣服と食料、その他価値のあるものを袋に詰めてこむ。“ジョット企画”の事務所には撮影器具や再生できない映像記録などが残されていたが、コレについてはどうでもいい。自由に差し押さえさせればいい。企業たちの技術力なら再生できるかもしれない。
　出掛け前の最終確認の際、事務所奥のクソデカベッドの上に黒い猫が眠っているのを発見した。
「は？何だコイツ」どっから入ってきたのかわからないが、ここに置いておくのは良くない。《取り立てロボ》のAIが『何を差し押さえる？差し押さえられるものは、すべて』とプログラムされているのは有名な話だ。生物も例外ではなく、黒猫は領域瞬間霊送箱の良質な材料になると云われているのだ。オレにも良心はあるんだ。
「おら、起きろクソ猫……痛って！暴れんな！」抱きかかえようとすると爪を立てて暴れるため、仕方なくバッグにぶち込む。荷造りは多分、これで最後だろう。

　モゾモゾと中で何か動いてシャアシャア鳴いているバッグを抱え、廃ビルの外に出る。表には、長い髪の女がいた。知らない顔だ。
「誰だアンタ」レギュレータ社の回し者か？そうは見えない。オレがいるのに驚いたようだったから。
「あら、こんにちは。わたしは――」
「ウチのルームシェアの希望者か？悪いがウチはもう終わりだ。破産したからな」
「はい？」
「もうじき取り立てロボが来る。綺麗な姉ちゃんとは喋りたいトコだけど、そんな暇もねえ。アンタも逃げたほうがいい。差し押さえられたくなかったらな。退けどけ――！？」
　
　唐突に、サイレンの音が響きわたる。

『ﾋﾟﾋﾟｰ　ﾋﾟﾋﾟｰ　取リ立テヲ開始シマス　取リ立テヲ開始シマス　範囲内ノ全テノ人間及ビ戦闘機械ハ、タダチニ武装ヲ解除シテ差シ押サエラレテクダサイ　繰リカエシマス　取リ立テヲ開始シマス――』
　無機質で冷酷な取り立てロボの合成音声が響き渡る。バッグの中の猫がいっそう強く暴れだす。

「もう着やがったのか！」夜逃げ計画が筒抜けだったのか？いずれにせよ状況はよくない。双眼鏡で覗く先から、三体の《量産型取り立てロボ》が高速ホバー移動で接近するのが見えた。
　車まで走るか――間に合うか？物陰でやり過ごすか――？
「よく分からないけど、あれをどうにかすればいいのね？ちょっと持ってて」
「はい？」逡巡するオレに、長髪の女は荷物を手渡すと背中に挿していた狙撃銃を構えた。なんでそんなもん持ってんだ？

　――女がスコープを覗く。
乾いた音が三発。
すぐに、爆発音が聞こえた。

「どう？」髪をかき上げ、ちょっと自慢げに女が笑う。
「やるじゃんか」
「落ち着いて話せるんじゃない？わたしは――」
「いや、篠崎生研は資金不足から取り立て代行で小銭を稼いではいるが、腕利きのバイオ技術者の集まりだ。取り立てロボもバイオ融合による再構築プロセスが仕込まれてるだろう」
「企業として相当迷走してない？」
「五年前にパーツ代金を踏み倒す悪徳ライダーたちのせいで財政がやばくなったらしいな。とにかくまだここは危険だ。走ろう。車を待たせてるんだ」

　バッグの中で猫は酸欠になりつつあった。俺と女は、《企画》の仲間が待つ車へ向けて走り出した。

　ここからオレと彼女たちの冒険が始まりそうな予感がするが、特に全然そんなことはなく、この話はここで終わりになる。
オレはハイドラライダーで、プロの夜逃げ師や詐欺師ではないのだ。戦場で会おう。じゃあな！

聖ヨケルギウス記念体育大学の教職員組合です。