ENo.0187　タリス・シエルタ

──視界が広がる、その視点は高く、格納庫を見渡せるほどの。

そして下から何やら話し声が聞こえてそちらを見やる。
緑髪に赤いバンダナの男と、鮮やかな蒼髪の青年。


『……大体、毎回無茶をし過ぎなんだよあんたは！毎回一番損傷酷いのあんただぞリーダー！』

『いいじゃねぇかよ全壊してねぇんだし、それにちゃんと帰還してるんだぜ？』


何やら青年が緑髪の男に文句を言っているが、
それを気にも留めずに煙草を吸ってはケラケラと笑っている。


『他の二人はまだいいとして、あんたは突っ込みすぎ何だよ……すぐ色々なところをボロボロにしやがる。
これだけ毎度機嫌悪い声してるのティソーナだけだぜ？』

『わかってねぇなぁ、敵を恐れず肉薄する、弾が掠れる中を駆け抜ける……それが楽しいんじゃねぇか。
声ねぇ……前からちらほら言ってるが何だ小僧、機械とお話でも出来るってか？』

『わかんねぇよ……ったく。そんな事よりも被弾抑えねぇとそろそろ俺が過労で倒れるぞ。
言葉がわかるわけじゃねぇよ、何となく、唸り声が聞こえる気がして……それにその感覚はよく当たるんだ。
……っておい、また小僧呼びしやがったなこの野郎。タリスだ、タリス。ちゃんと名前で呼べって！』

『へいへい、それは困るからな、俺だけの問題じゃなくなる。
可能な限り頑張らせて頂きますよ不思議な不思議な整備士様。
……まぁ、お前も大事な仲間だからな、ぶっ倒れさせるわけにもいかねぇ。
努力はしてみるからよ、あいつらの機体もちゃんと頼んだぜ、タリスよ。』


ひらりひらりと後ろに手を振りながら、緑髪の男は去っていく。
蒼髪の青年は何か思うところがあったのかその後姿をしばらくじっと見つめていたが、ふと視線を外すと『こちら』を見やり。

「……全く、お前も厄介なライダーに組まれて苦労するな。何にせよ俺だって全力で取り組むまでだ。
しっかり整備してやるから、あのバカ隊長をよろしく頼むぜ、『ティソーナ』」



機械に返す言葉などないにもかかわらず、名前を呼びかける青年の表情は何処か楽しげに輝いていた。
その言葉にどこか満足したように、『ティソーナ』はカメラの電源を落とす。


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そうして暗く、光の無くなった世界の中で。
『ティソーナ』が抱いていた夢の残滓を、じっと噛みしめていた。

残像領域ではおよそ全てが霧に覆われる。濃淡の差はあれど、ハイドラ乗りたちは皆『それ』を纏って戦いに臨む。望むと望まざるとに関わらず。
時に袖の触れ合う距離すら見通せなくなり、逸れたはずの銃弾が襲い掛かり、甚だしいケースでは時の流れすら大きく食い違う。
戦場は霧という渾沌に包まれる。戦士は霧を纏う八又の怪物に包まれる。怪物は己と全く異なる姿の怪異に囲まれる。
全てが貴方に牙を剥く。そこでは人の認識は酷く脆く、疑うことと信じることは同じ価値しか持たない。それは貴方の心を守りはしても、貴方の命までもは守れない。不安の山を切り崩したところで、戦場で人が死ぬという自然現象から逃れることは誰にもできない。

では、全ては無駄なのか。それは有り得ない。
理に適い技術の粋を尽くしたパーツアセンブル、敵機を把握し所持火器に対応した装甲の備え、機影を捉え行く先を見切り未来に向けて引鉄を引く訓練は必ず貴方の戦果と生還率を高めるだろう。
それでも尚足りないのだ。漸近すれども到達することは永遠にない。その差は理や経験では埋まらない。最後のピースは必ずすり抜け、或いはつっかえる。

何が貴方を生かしてきたのか。ある者は幸運と言うだろう。ある者は歌が。ある者は業、技術、呪い…何者かに守られていると言う者さえいるだろう。同じことを謳い、今は霧のどこかに消えた者もいるのに？
彼らを分けたあやふやな何か。どこにでも収まる、しかし意識的には到達しえない何処かにある何か。あらゆる積み重ねを足がかりにただただ霧の中に伸ばした手だけが掴める何か。
それこそが霧中のパスポート、戦場への適性そのものなのだろう。

おかえり、怪異の戦士たち。でも忘れないで、今日帰ってきた貴方が明日霧のしじまに消えていかないとも限らないことを。
パスポートの有効期限は当日限り。貴方は馬車馬のように戦い、他に何の役にも立たない殺しのライセンスの更新手数料を払い続ける。望むと望まざるとに関わらず。