ENo.0594　祟鬼漬クロガネ

「なにかを得るためには、なにかを失わなければいけない。」

遠い昔、記憶の隅っこで、どっかの誰かがそんなことを言っていた気がする。
私は今までに何を得てきただろうか……、そしてそのためにどれだけ失ってきたのだろうか……？

スーから教えてもらった方法でコーヒーを淹れる。コポコポと沸騰する音が心地いい。
もし私がハイドラライダーじゃなかったら、今でもやたら苦いコーヒーを飲んでいたことだろう。

ここに来てから本当にいろいろな人に会った。
彼らとの出会いは、ハイドラライダーにならなければ得られなかっただろう。

そのために私はなにを失った？なにを犠牲にした？

母さんを理不尽に失い、私は誰かを理不尽から守りたいと、そう誓うようになった。
父さんを理不尽に手にかけ、ロウブリンガーと、ハイドラライダーへの道を手に入れた。

父さんを殺したのは、本当に衝動的だった。
その結果、望もうと望むまいと、私にはロウブリンガーが残された。
『法の執行者』から『理不尽な執行者』へと名を変えて。

あれは間違いだったと思う。私には手を差し伸べることも出来た。全てを許して。
でもそうはならなかった。いや、そうしなかったんだ。

決断は変えることが出来ない。過去を改変するのは御伽噺の中だけで、ただ振り返るだけ。
それでも、それでも私は自分がハイドラライダーになったのは間違いだと思ってない。
最終的に私は家族を失い、守るための力を手に入れた。

その力があれば、私は全てを救えると、自分の命が、数万の命と引き換えになると、そう信じていた。
一人の勇者が世界を救うのは御伽噺の中だけで、守れるのは手の届く範囲だけ。

「『英雄気取り』か。……あながち間違いじゃなかったなぁ。」

それにしても『大地の禁忌』とやらも企業連盟は解放するつもりらしい。
ストラトスフェアがどこまで重要だったかは知らないけど、あの怒り様もあそこまでくると滑稽ですらある。
どれでも『禁忌』自体は脅威になりえるから、油断するわけにもいかない。願わくばさっさと諦めて欲しい……。

あとはヒルコ教団の事も気になる。この作戦が終わったら、とりあえずは協力するつもりだ。
『発芽』『種子』『植物園』『世界の破滅』『結末が見えている』……共通点が多すぎる。
世界が滅ぶなんて馬鹿馬鹿しい気はするけど、ここまで怪しいと疑わざるを得ない。

……もしかしたら、『それ』は御伽噺なんかじゃないかもしれない。
それなら、私のやるべきことは一つだ。

祟鬼漬クロガネが所有する移動式ガレージ内に設けられた小さな工房。

カタカタと音を鳴らす錆びた換気扇、プラプラと揺れる頼りない白熱電球。
古ぼけた大型テーブルに、軋みを上げる幾つかのパイプ椅子。
煤けた作業台の上には、不釣り合いなほどに新品なコーヒーメーカーが置かれている。

ここではパーツの製造のほかに、ハイドラの整備、点検、修理まで幅広く行っている。
訪れれば、やたら濃いコーヒーと一緒にぼそぼそのレーションを振る舞ってもらえるだろう。
……口に合うかは別の話だが。

この工房で作られるパーツには「黒鉄式」の銘がつけられるが、
読み方は「くろがねしき」ではなく「こくてつしき」だったりする。
でも工房名は「くろがねしき」、ややこしい。