ENo.0049　ソネル

「私がいなくなっても大丈夫か？」

一瞬ガブリエラの声かと思って、しかし違うことにソネルは気づく。
相手が見えないのは同じでも、ガブリエラには姿そのものがない。
この相手は霧の向こうで確かに影が射している。そしてベッドへ寝転がった部屋の中に、霧など立ち込めまい。

（夢……あの頃のか？）

問いの言葉に、夢と自覚するソネルの意識は何も答えなかった。
霧の向こうの影は、ただそこにいることしか判別できない。

だが、多分、なんと応えたかは覚えているはずだ。


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目覚めるとまだ辺りは暗かった。
ソネルの目にはまだ霧が焼き付くように残っている。夜と夜明けの間（アワーオブウルフ）の夢。その霧。
禁忌戦争が終結する以前、どこもかしこも霧だらけで、ソネルはまだハイドラライダーではなかった。その頃の夢。

（今更、昔を夢に見るなんて思いもしなかったな――）

ソネルが左右に顔を振れば、静まり返った無灯の部屋がある。
ガブリエラは、いない。
この間、しばらくガブリエラが消えたままだった時以降、いないと意識する事が増えた。それをソネル自身新鮮に思っていた。
これまでそんな事を一々考えたことはあっただろうか。

ガブリエラは姿を持たない。故に、声が聞こえなくなると文字通り消えたも同然だ。そう理解した。
今まではそうではなかった。
自分の前から去っていく誰かは、それでも確かに姿を見ていた誰かだった。
だから彼ら／彼女らと会うことがなくなっても、ああ、多分、霧の向こうのどこかにいるような気がしていたのだろう。
だからいなくなったなんてことを、意識する必要もなかったのだろう。

だがガブリエラはそうではなかった。

（……ガブリエラ以外だって、まぁ、そうだよな）

夜と夜明けの間。大半の人が生まれ、死す時間だとする伝承があるのだという。今はいない誰かが教えてくれた。
その薄暗闇の中、机に立てた開けっ放しのペットボトルを片手にソネルは立ち上がる。
もうすぐにでも夜は明けるだろう。

顔を軽く洗い流し、歯ブラシを咥える。
空腹感は多少感じるが、棚に置かれたインスタント麻婆豆腐のパックは、まぁ、朝食の気分ではない。

結局ペットボトルだけを手に、ソネルは貸し倉庫へ向かった。

もちろん今ガブリエラの気配がないのは再び行方をくらましてしまったというわけではなくて、単にソネルが寝ている間は（基本的には）あまり部屋で活動しないようにしてもらっているというだけだ。
流石に寝ている横でディスプレイを光らせキーボードをカチャカチャさせられ続けるわけにもいかない。
ガブリエラは眠らないので、ソネルが寝ている間はたいていずっと通信網から情報を収集しつづけているのだ。
だから、大抵のことは『ホルン・パラドクス』に搭載された機材で行ってもらっている。

ガブリエラはこの所ずっとそうしている。

情報を集めている。

消えていたガブリエラが戻ってきた直後の行動には面食らったが、ガブリエラたち索敵担当のハイドラライダーたちは確かに何かを手にした。
恐らくは遺跡の知識の断片が作用しているのではないか、ソネルはガブリエラからそう聞かされている。
あの時ガブリエラがそうしたのは偶然などではなかった。確固たる意思をもってであり、その意思は伝えられた何かの為だ。
啓示の天使。

確かに直接的な戦場評価にはあまり寄与していないにしても、そんな事は当面食える余裕があれば些細な問題だ。
ガブリエラの存在と同じか、またはそれ以上に『遺跡』だって不思議な存在。
そこからガブリエラが何かを知った／知らされたのなら、それは重要なことかもしれない。
それに、そうしたことで、ガブリエラ自身が己のウォーハイドラである『ホルン・パラドクス』との在り方について、思う所ができたようだった。
『遺跡』からの情報について以外にも、彼女は五年前に存在したガブリエラ・ストークスについて、より深く調査しはじめている。

今の所ソネルは断片的にしか聞かされていないが、彼女にとって重要な情報が見つかればいいと思っている。
まだソネルの方が使い慣れているから、手伝えることもいくらかはある。

そんな事を戦場以外でしたのは、いつだったか。

ソネルが明け始めた夜の街を路地の隙間から見れば、それでも霧が太陽を遮っていた。
この辺りはやはり霧がまだ多い。
かつてのソネルは、いつもこんな夜明けを迎えていた。
誰かがいたり、いなかったりしたが、どちらであれ霧の中をいつもフラフラと彷徨っていた。

だが今は倉庫の扉を開く。
ガブリエラ・ストークスがそこにいるからだ。