ENo.0409　ジゼル・ガミジーナ

「明日、お話を聞かせてあげるわ。おやすみなさい」

　約束をした翌朝。
　あの後、すぐに身体を休め、真っ先にルネはジゼルの部屋を訪れた。

「ジゼルさん」

　ノックをして、扉へと手を掛けるが鍵は掛かっていない。
　昨日長話をしていて、鍵を掛けるのを忘れてしまっていたのだろうか？
　或いは、ルネの訪れを待っていた為？

　扉を開けて入れば、すぐに異変に気付いた。
　既に起きており、椅子に腰かけているジゼルの髪が、全て紫になっている。

　ルネの鼓動が高まった。
　彼女は魔女なのだろうか――？
　只一つ言える事は、目の前の女は冬の化身を思わせるかのように、恐ろしい程に冷たく怖かった。

「アルブレヒトとでも呼ぶべきか否か」

「…ジゼルさん、冗談が過ぎますよ。」

　アルブレヒト、とは『ジゼル』における恋人の役回りである。

「昨日は手下と友達の友達寄りだったじゃないですか。」

　言いながら、予感は確信に近づく。

「はは、そうか。今の世は随分と自由になったと思うが」

　冷たい事の葉が紡がれる。
　それは、まるで冬の星空の様な静寂さを秘めながら。

　ルネの予感は正しく、既に彼女は魔女と化し。
　この場にてジゼルは既に居ない。

「ジゼルさんが言っていました。自分ではない誰かが、自分を塗り替えようとしていると…」

　口調も雰囲気も。纏う怖気、いや冷気？何もかも違う。
　両の腕で自分の肩を抱き、それでも一歩ずつ近づいていく。

「貴方は、誰なんですか。ボクがまだ教えてもらっていない、ジゼルさんの…」

　過去に関係があるのか。問いたださねばならない。

　ルネが一歩近寄れば、更に空気は冷たく感じるように冷えていく。
　近づけば近付く程、芯が冷える。

　深淵を覗きこむ時、深淵もまた此方を覗きこんでくる一節を思わせる瞳が、真っ直ぐにルネを捉える。

「ミルタとでも名乗っておこうか」

　ミルタ――バレエにおけるジゼルに出てくるウィリと呼ばれる妖精の、女王の名そのものである。
　恐らくは、ジゼルの名から、名前通りバレエの演目にに関する役割を当て嵌めて話をしている事は理解出来た。

「下がるが良い、小娘。"約束はジゼルと"したのであろう？　私に果たす義務は無い」

　「――……と。本来なら此処で話は終わりにしたいところだが」

「生憎、私は困難があれど尚、前へと歩もうとする者は好ましく思うのでな。一つ、貴様に敬意を表してやろう」
「足掻きながら進むが良い。多くの苦行を楽しみながら乗り越えろ。試練を乗り越えた時に、其れは真の宝となり輝いてくれるのだから。」

　一冊の、鍵付きの本をルネに放り投げてこう言った。

「書の鍵は、宝箱の中に隠されている。それを探し出すが良い。」
「この霧の中では、ルビーの宝石箱は決して見えないだろう。宝箱は、ケンタウロスの足元、或いは蠅が在りかを知っている。しかして用心せよ、ケンタウロスは狂犬と対を成すのだから。一方の蠅……いや『あの娘』の事を思えば、その姿は蜜蜂と称した方が正しいだろう。カメレオンに食べ尽くされる前に探し出すと良い。」
「もし、狂犬と対を成すケンタウロス、或いは蠅の姿をした蜜蜂が居無ければ、白鳥が対を成す象徴である。霧の中では決して姿は見えないけれど、お前の胸にも同じ輝きを見いだせるだろうよ。」
「偽りの十字架と蠅には用心せよ。その蠅は蜜蜂の姿を取らず、羊の上に佇んでいる。」
「霧で視界が悪いなら、足元を見ると良い。ミモザが目印となってくれる。」
「挫けそうになる時は、胸に青い鳥の寓話を思い出せ。」

「な、何を―謎かけ？ですか…？」

　鍵を探せ。そうジゼルの姿をした女王は囁く。
　普通に考えれば誘惑、あるいは罠。
　だが、彼女が寓話にかけて問いかける者であるならばそれはおそらく―
　唯一の鍵、なのだろう。
　ならば、白土ルネはその謎を解くしかない。

「好きにするが良い、私の方からこれ以上お前に話す事も無いが。鍵を見つけた暁には話をする機会を作っても良い」

　ふ、と小さく口元に笑みを作れば、ミルタは歩きだし、ルネとすれ違った瞬間だった。

「……お前はやはりアルブレヒトだと私は思うよ」

そう言い残すと同時に、魔女の姿は消えてた。

＊＊＊

　アルブレヒトとは『ジゼル』において、恋仲になる王子の名前であると同時に、adal（高貴な）と berath （光）の意味を持つ。

「『鍵』というのは、お前自身の事であるように私は思う」

　朝の陽ざしに溶けるように残された夜の女王の言葉が、ルネの耳に届いたかは定かではない。